華鬘蓮華冠 M5811

華鬘蓮華冠



虚空蔵菩薩真言「ノウボウ アキャシャ ギャラバヤ オン アリキャ マリ ボリ ソワカ」の意味があるようですよ。と、教えて頂いたので、調べてみました。わざわざ、教えて頂いてありがとうございました。それらしき意味を抜粋しました。


能望のマントラの意味は、「華鬘蓮華冠(けまんれんげかん)かぶる虚空蔵菩薩に帰依する」


真言というのはサンスクリット語の「マントラ」を漢訳した言葉です。真実にして神聖なる言葉ですが、サンスクリット語の音そのままを音写したもので翻訳はされません。あえて翻訳すると・・・。


「華鬘蓮華冠を有する虚空蔵に帰命す」となりますが、真言では梵字・言葉のひとつひとつに意義が含まれているので、表層的な言葉の意味だけで理解してはいけないからです。


「華鬘蓮華冠をかぶる虚空蔵菩薩に帰依し奉る」


虚空蔵とは「虚空の如く無量なる智慧・功徳を蔵する」の意義ですから、その瞑想の際に、真言を正しい発音と呼吸法によって宇宙のリズムと自己とを合一させる。そのための聖なる言葉・音声なのです。

 
以上、意味をまとめてみると、


「華鬘蓮華冠(けまんれんげかん)をかぶる虚空蔵菩薩に帰依する」という意味になります。しかし、何のことなのかピントきません。そこで、華鬘蓮華冠(けまんれんげかん)とは、王冠の様な冠(かんむり)のことですが、以下の様な説明がありました。


虚空蔵菩薩とは、金剛界の五如来がに変化した姿です。金剛界曼荼羅の五如来智慧をわかりやすく、虚空蔵菩薩の姿で示しているんです。ですので、虚空蔵菩薩は、もともと如来、それも曼荼羅の中心で
ある大日如来と密接な関係にあるわけなのです。ですので、虚空蔵菩薩は、かならず五如来の姿がある「五智宝冠」をかぶっているのです。

 
なお、五大虚空蔵菩薩は、国家安泰、天変地異の消除の祈願をするために祀られたののです。このように、虚空蔵菩薩は、大変現実的な菩薩です。現実的なご利益を与える、という菩薩です。そういう意味では、今の世の中にあっているのではないでしょうか。ちなみに、虚空蔵菩薩は、寅年生まれの方のご本尊でもあります。

 
虚空蔵菩薩は、かならず五如来の姿がある「五智宝冠」をかぶっているのです。ということから、華鬘蓮華冠(けまんれんげかん)とは五如来の姿がある「五智宝冠」のことのようです。虚空蔵菩薩は一人で、五人の如来のパワーを授かった「五智宝冠」という、冠(かんむり)をかぶっている!ということです。

 
如来とは、大日如来阿弥陀如来宝生如来不空成就如来などのとんでもなく偉い、無限のパワーを持っている如来様で、虚空蔵菩薩は、これらの如来のすべてのパワーを授かっていることになります。しかも菩薩様ですから、私たちの近くにいて助けてくれるのです。しかも、アカシック・レコードを管理する神様ですから、心から委ねて帰依すれば、ご利益が無限に得られる!ということになります。

 
ですから、私が推測した意味は、ネット上にある「華鬘蓮華冠(けまんれんげかん)をかぶる虚空蔵菩薩に帰依する!」よりも、的を得ていたことになります。

 
虚空蔵菩薩真言「ノウボウ アキャシャ ギャラバヤ オン アリキャ マリ ボリ ソワカ」の意味を推測してみます。

 
ノウボウ アキャシャ の意味は「虚空蔵菩薩に帰依します。」

 
ギャラバヤ オン  アリキャ マリ ボリの意味には、虚空蔵菩薩の功徳からも、「無限の叡智と無尽蔵の富」の意味が含まれているように思います。

 
ソワカは、成就する、達成する、という意味になります。

 
虚空蔵菩薩アカシック・レコードに帰依してつながれば、無限の叡智と無尽蔵の富が得られるので、心から祈念します。」と、このような意味になると思います。

 
大日如来とは、宇宙を構成する森羅万象の全ては大日如来から現出し、阿弥陀如来をはじめとする全ての仏様は大日如来の化身と考えられています。その大日如来のパワーを授かっているのですから、益々熱心に能望を唱えることができます。

 
大日如来阿弥陀如来などの無限のパワーの叡智を授かっている)虚空蔵菩薩に心から帰依します!

 
ノウボウ アキャシャ ギャラバヤ オン アリキャ マリ ボリ ソワカの意味は、こんな感じで、唱えれば唱えるほど、無限の叡智と無尽蔵の富が得られて、今の世の中を乗り切ることができるのです。ちなみに、五如来の中にいる不空成就如来の不空は、空海が生まれ変わりと、言っていた人です。

 
空海の誕生日と不空の命日が同じで、空海のお母さんが空海が生まれる前に、インドの高僧の夢を見た!という逸話があります。恵果和尚は、空海のお師匠さんですが、恵果和尚のお師匠さんが不空になります。紛らわしいですね。

 
不空は死の床にいて弟子の恵果を呼び次の様な遺言を述べたのです。「恵果よ、わしの命はもう絶える。そなたには金・胎両部の秘法を伝えたが、この密教は唐ではやがて滅ぶであろう。そこでわしは東の国へ密教を伝えたい。わしの命は東の国へと移りそなたと再びめぐり合い、そなたの弟子になるだろう。」と言い遺して翌15日未明に息が切れたのです。

 
師の言葉を信じ恵果はずっと待ったのです。不空が死んだ時、日本は宝亀5年(774年)6月15日でした。同じ日の未明に空海は誕生したのです。空海の母の玉依御前は自分が出産する前にインドの高僧が胎内に入ってくる夢を見たと述べているのです。不空はこうして空海として生まれ変わり30年後に遺言どおりに恵果の弟子になるために唐に遣って来るのです。

 
待ちに待った再会なので恵果はとても喜んだのです。そして後継者となった空海は恵果から僅か2ヶ月間で金・胎両部の秘法を授かり、その年の12月に恵果和尚は臨終を迎えたのです。空海を枕もとに呼び「師弟の関係は永遠である。そなたは早く日本に帰り密教を広めよ。わしの魂は先に日本に行き、そなたを待ちこんどはそなたの弟子となるだろう。」と空海に遺言して息絶えたのです。そして恵果の魂は日本で生まれ変わり覚鑁と言う空海の孫弟子になったのです。

 
恵果は空海が唐に来ることがわかっていた!のは有名な話です。そして、恵果の弟子が1000人以上もいたのに、日本からきた空海に、真言密教の教えのすべてを空海に授けたのも不思議な話ですが、このような経緯があれば、納得できると思います。不空は、不空成就如来と、なっていますが、不空の魂が、空海に虚空蔵の真言を何百万遍も唱えさせて、空海を天才に仕上げたのも納得ができます。尊敬する人物に成り切る!というのはすごいパワーがでるものです。