能望を初めて二週間 M556

能望を初めて二週間


                      • メッセージより----------


こんにちは。前回一つの和(幸せの和三枚セット)のいただきました。


最初は半信半疑でしたが、幸せの和を携帯していると、今までなら、落ち込んでしまうところが、幸せの和に触れたり、意識するだけで、気分が大変よくなります。


生理痛で、腰のあたりがどんよりとして立っているのも大変なのですが、腰にもっていくとすぐに痛みがやわらぎ視界があかるくなるのです。とても不思議です。


今まで、いろいろなパワーグッツなど購入してきましたが、幸せの和がNo1です。これからどんなことが起こるが楽しみでわくわくします。


能望も初めて二週間ですが、唱えやすく、続いております。希望をもって毎日をすごしたいと思います。注文をよろしくお願いいたします。

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メッセージ有り難う御座いました。何年間も変わらずに、体験談を頂くのは、有り難いことです。微小なるものが、大いなる効果!の典型的な例ですね。太陽光線には、微量のミネラルとかビタミンとか、情報の形で、生命にとっての有益なエネルギーがたくさん含まれているそうです。

 
太陽は生命のエネルギーの源ですから、当然のことなのですが、
『幸せの和』は、太陽の分身でもあります。『幸せの和』は、日光欲をすると、パワーアップして、きらきら輝いてきますので、生命力を与えられて、喜んでいるのがわかります。

 
『幸せの和』は、生命エネルギーの他にも、生命にとっての有益なエネルギーも放射しているのです。このエネルギーが、皆様の意識に同調し、増幅して、与えられて
いるのです。

 
このエネルギーは、本当に極微の世界のものなので、人の意識とも
同調するのです。相乗効果でますます良くなります。

 
2年前の、2006年よりも、2008年の方が、波動が高まってきています
ので、『幸せの和』のエネルギーの効果も高まっていると思います。

  
先日は、「観音」という言葉を引き合いに出しましたが・・・。観音様の教えについて説かれている経典があります。その中に、「観音三十三応身」という教えがあります。

 
この意味は、観音様はどんな時でも「南無・観世音!」と観音様の
名前を呼べば、一瞬のうちに私たちの前に現われるそうです。「南無・観世音」とは、観音様に、全幅の信頼を寄せて、命を預けます。
帰命(きみょう)=身命を投げ出して従います。という、意味になります。

 
「南無・阿弥陀仏」も、「南無・妙法連華経」も、同じ意味になります。因みに、南牟(のうぼう)も、南無の原型の様で、より古くて、原型に近いことがわかります。

 
「観音三十三応身」という意味は、困難に陥っている人に、最も
ふさわしい姿に変身して、いつでも助けてくれるということです。

 
ある人には子供の姿で、ある人には悪人の姿で、ある人には一番、
望ましい人が現れるかも知れません。観音様は、私達に気づきを与えるためにも、33の姿に変身して現れるということです。この33と言うのは、便宜的な数字で、ほぼ無数の!という意味だと思います。

 
私達に気づきを与える姿とは、人間の姿ばかりではありません。森羅万象にある木や草花、動物や石ころにいたるまで、そして、目の前
に起きる現象など、あらゆるものに変身して、私たちに気付きの機会を与えてくれているのです。

 
『幸せの和』は、森羅万象のすべてである、「大日如来」を象徴的に書いたものです。「大日如来」は、優しい観音様にも、恐ろしい不動明王にも、あらゆるものに変身します。

 
優しい「観音様」のご利益を、ワクワクしながら心の目で「観る」だけで、観音様は、目の前に変身されて、最良のものを与えてくれる
のです。


私がアカシックで、判定していると、私のところには、最近、「塵沙大王」=「深沙大将」という妖怪のような、デスノートの死神よりも、何倍も怖い風貌の、鬼神が出現します。

 
ハリウッドの映画に出てくる怪物の「プレデター」のような風貌で、
首飾りに六つのドクロをしていて、左腕に、へびが巻きついていて、
両足には、象さんが、2匹いるのです。そして、丹田には、童子のような、純真無垢な顔が付いているのです。だれが見ても怖い容姿です。ドキッとします。

 
空海が、日本に初めて紹介したそうですが、とにかく怖いので、怖気(おじけ)づいてしまいます。「大日如来」か観音様の変身だと思えば、許せますが・・・・。世の中の多くの人に、気づきを与えるために、出現したようですが、なるほど、これくらいのインパクトがあれば、世の中の多くの人が関心を持つようになり、意識レベルの向上に寄与するものと思われます。

 
ミクロの命数の中に、沙(しゃ)も塵(じん)もないので、是非、沙(しゃ)と塵(じん)を仲間に入れてほしい!という、自分の名前が、「塵沙大王」なものですから、頼みに来たようなのです。

 
毘沙門天」の化身だと言って、威張っていますが、「玄奘三蔵」の守り神であり、「大般若経」とも関係があり・・・。昔は悪党で、今は改心して「仏様の守り神」の仲間になっているのですから、その辺の経緯は、面白いと思います。

 
アカシックで、深めていると、うとうとしてきて、このようなおかしな神様に遭遇することもあります。最近は、マナ識を無視しているので、てっきりマナ識の仕業だと思っていたのですが・・・。

 
災難のように思われても、冷静に判断して、受け容れると、自分が何かに試されていることに気づいてきます。これは、次のステージに進化する兆候のように思ってきました。

 
ホーキンズ博士が、新しい境地に進むときに、ものすごい恐怖が訪れる!と、本には書いてありましたが、空海も、「玄奘三蔵」も、同じ経過をたどっていたのでしょうか?

 
私の場合は、恐怖と言うよりも、塵沙大王=深沙大将には何となく
愛嬌があるので、恐怖はなくて、何かメッセージを伝えに来たような
気がしています。しばらくの間、対話ができたら、学ぶことができたら!と思っています。