お母さんの愛を M487−2
お母さんの愛を
感動がありました。私も、中学生を指導していていましたが、こんなに感動するお母さんの愛を生徒に伝えれたら、と、思いましたので、参考までに抜粋いたします。
「10代の君たちへ――自分を育てるのは自分」-----------
先生が68歳の頃に、中学校の生徒の皆さんを前に話をされた講演二篇をまとめたものですが、秀逸の講演です。こんな話を直に聞けた中学生は幸せというべきでしょう。先生の祈りのようなものが聞こえてきます。全篇これ、至極の内容ですが、中でも特に心に響いた、あるお婆さんのお話をそのまま紹介します。
私は主人が早くに亡くなりました。女の子一人の母子家庭だったんですけど、主人が亡くなってから、くず屋の仕事を続けて、女の子を養いました。
幸い、小学校の頃は、いい子だ、やさしい子だと、皆さんから誉めていただいていたんですが、中学校になってから、ぐれ始め、とうとう中学二年の時には警察のお世話になるようなことになってしまいました。
あのいい子だいい子だといわれた子が、なぜこんなことになったんだろうか、どう考えても分かりません。それが偶然わかったことですが、『いくら勉強できるからといって、くず屋の娘やないか』といわれたことが大きなショックになって、『お母さんがあんな仕事をやってるから、いくら勉強やったって、みんなからバカにされる』と考え、それからぐれはじめたということがわかりました。
しかし、このくず屋の仕事をやめてしまっては、もう今日からの暮らしに困ってしまいます。かといって、ただ一人の女の子が、そんなことでは、亡くなった主人に申し訳ございません。長い間、ずいぶん迷いましたが、結局私の仕事をわかってもらう以外にはないと考えつきました。
ある時、『お母さんが長い間こんな仕事をやってきて、足腰が痛んで、どうにもこうにもあの下からの坂道、家まで車を引いて登ることができなくなってしまったんだ。すまんけど、あの下のポストのところまで、明日の晩迎えに来てくれないか』
『ボロ車の後押しなんかイヤだ!』思った通り、はねつけられてしまいました。『イヤだろうな、ボロ車の後押しなんてイヤだろうな。でもお母さん、足腰がもう痛んで、どうにも車があがらなくなってしまった。頼むからあのポストのところまで、迎えに来てくれないか』
いくら頼んでも、『ボロ車の後押しなんてイヤだ』『イヤだろうな、ボロ車の後押しなんて、イヤだろうな。でもな、6時には間違いなしに帰ってくるからな。あのポストのところまで迎えに来てくれんかい』
『じゃあ、6時ちょっきりやで。すこしでも遅れたらよう待たんで』ということで、どうにか承知してくれました。あくる日、車を引いてポストのところまで帰って来ると、ポストのかげに、恥ずかしそうに、しゃがんで待っていてくれました。
そして、後を押してくれたんですが、車を引きながら、このボロ車に顔をそむけながら、どんな思いで後押ししてくれているかと思うと、こんな仕事やってきて、そして娘にまでこんなみじめな思いをさせると思うと、たまらん思いでしたが、おかげさまで家まで車を引いて登ることができました。
『あんたのおかげで、今日は久しぶりに車を引いて帰り着くことができた。明日もすまんけどな、お願いするよ』そのあくる日も迎えに来てくれていた。そんなことが五日ばかり続いたある日、ポストの倍のところまで迎えに来てくれていました。
後押しをしながら、『お母さんの仕事って、大変なんだな!』と叫んでくれました。『お母さんだって、この仕事が好きなはずはない。でも私のために、この仕事、足腰が動かなくなるところまで頑張り続けてくれた。私のために。だのに私はお母さんを恨むなんて』
気付いてくれていたんです。そのあたりから、立ち直ってくれました。今ではおかげさまで、いい母親になって、二人の子どもに恵まれているんですが」と聞かしてくれました。この話に続けて、東井先生はこう言われています。
「自分を生かしてくれるものに、目が覚めてみるとね、ぐれたりなんか、自分勝手な生きざまができなくなってしまうんですね。願いの中に自分が生かされている。どうかそのことを一つ味わっていただきたいんです」おそらく、この言葉は聴いている生徒の心に深く響いたことでしょう。
どうにもならない状況で、救ってくれたのは、お母さんの深い愛です。お母さんの深い愛に触れた子供は目覚めてくれて、立ち直って
くれたのですね。人間の心の奥に秘められている無償の愛は、すべてを解決してくれます。