梵我一如 M356−2

梵我一如



「梵我一如」という言葉があります。古代インドの文献では、宇宙にはその全体を貫く根本原理があり、それはブラフマン(梵)と呼ばれています。梵字の「梵」です。量子力学では、「統一場」のことで、真言では、宇宙全体の象徴ですから、「大日如来」になります。


梵我の「我」のことですが、五感は優れていますが、五感よりもさらに心の方が優れています。心よりもさらに知性の方が優れ、知性より優れるものは「真の自我」=我々の本質である「真我」のことで、アートマンと呼ばれています

 
「梵我一如」というのは、梵のブラフマンと真我のアートマンが一体となった境地のことで、インドでは、最高の覚りであると言われています。アートマンとは、「大いなる自己」のことですから、万能の自己でもあります。この「真の自己」であるアートマンが、文献では、五層になっているというのです。

 
五層のアートマンを略式で書くと---------------------

 
1、食物の精髄から成る表面の人間

 
2、気息から成る人間の形をしたアートマン

 
3、思考力から成るアートマン

 
4、認識から成るアートマン

 
5、歓喜から成るア−トマン

 
食物の精髄からなる人間の内部に同じく、人間の形をした「気息から成る」アートマン、そのさらに内側に「思考力からなる」アートマン、さらに内部に「認識から成る」アートマン、最奥に「歓喜から成るアートマン」があるとされたのです。これは、密教的身体観の五蔵説と同じになります。

 
人間の構造を「食物所成蔵」→「生気所成蔵」→「意識所成蔵」「知識所成蔵」→「歓喜所成蔵」 として、多層的構造を説いています。「蔵」は生命の入れ物たる容器を意味していて、この五つの身体は、粗雑な物質的な身体である「食物所成蔵」から始まって、精妙な霊的 段階たる「歓喜所成蔵」に至ると説いています。「歓喜所成蔵」とは、「歓喜から成るアートマン」のことです。さらに、五相成身の概念もあり、通達菩提心→修菩提心→成金剛心→証金剛心→仏身円満の
五段階を経て、金剛界大日如来の身を成就する!となっています。

  
ここでの、大日如来の身を成就するとは、五層の、仏身円満と、大日如来が一体化することです。つまり、五層の歓喜から成るア−トマンとブラフマンとの一体化になります。これが、「梵我一如」のことになります。

 
ブラフマンは実にこの一切(宇宙)なり。意識より成り、生気を体とし、光明を形相とし、その思惟は真実にして、虚空を本性とし、一切の行作を包容し、一切の欲求を具備し、一切の香を有し、一切の味を有し、この一切に遍満し、言語なく、関心なきもの、これすなわち心臓の内部に存するわがアートマンなり。


米粒よりも、或いは麦粒よりも、或いは芥子粒よりも、或いは黍粒よりも或いは黍粒の中核よりもさらに微なり。これすなわち心臓の内部に存するわがアートマンなり。地よりも大に、空よりも大に、天よりも大に、これらの世界よりも大なり。一切の行作を包容し、一切の欲求を具備し、一切の香を有し、一切の味を有し、一切に遍満し、言語なく、関心なきもの、これすなわち心臓の内部に存するわがアートマンなり。これブラフマンなり。


この世界を去りてのちわれはこれと合一すべしと(意向)あらん者には、実に疑惑のあることなし。シャーンディリアは常にかくいえり。シャーンディリアはかくいえり。「辻直四郎著の「インド文明の曙」岩波新書

                                                                                                • -


この中に、


>米粒よりも、或いは麦粒よりも、或いは芥子粒よりも、或いは黍粒よりも
>或いは黍(キビ)粒の中核よりもさらに微なり。

 
と、書いていますが、これは、極微の世界のことです。極微の世界に至るから、アートマン=真我=「大いなる自己」に至ることができるのです。2007年に気づいたスパイラルでの極微の世界に至る試みは、やはり正解だったのです。

スパイラルシート.jpg

  
五層の「歓喜から成るア−トマン」・「歓喜所成蔵」・「仏身円満」
は、「阿摩羅」になるように思われます。

  
第一身体⇒第二身体→第三身体→第四身体→第五身体

  
肉体⇒エーテル体→アストラル体→メンタル体→コーザル体

  
六徳→虚空→清浄→阿頼耶→阿摩羅にも対応しております。

  
いづれにしても、心を深める方法論を得て、それが万人に可能でどんな分野でも奇跡が起きるのは、非常に有り難いことです。三層くらいまで深めるだけでも、あらゆる夢が叶うレベルになります。自己を克服した者にとっては自己は最良の友である、。自己を克服できない者にとっては自己は最大の敵である。

 
自己を克服者した者は平安の境地を得る、大いなる自己に達し、寒さも暑さも、幸福も不幸も、名誉も不名誉に対しても動じることはない。