◎日月神示 M547

日月神示


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昇龍、降龍(スパイラルシート)のこと、二十○二(フトマニ図)のこと、音のこと、全ての振動のこと、これは量子力学的な観点から、述べていることです。神の光は万倍の光とは、全宇宙の太陽のエネルギーのことなのか、これも関連しています。



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愛は火(日)の象徴、力は水(月)の象徴、これで日月の神じゃ。
天の(神力)を発揮して日月の神としてお出ましになり現す時が
まいった。神示の解釈は御魂相当の働きによる。掃除の程度と申しておる。取り違いを心配いたすな。全てお見透しぞ。全て神の手の中。
どこにも出られん。瑞の巻・厳は他から出るぞ。火は働きによって
立つ。


しっかりと支えるか。産土力が大切。水を使うとは、波動を使って水の働きを強化すること。九の力でなくては出来んなり。八(一八十)内では流れるばかりぞ。火も同様ぞ。薄暗いロウソクの光じゃ。神の光は万倍の光。火の働きが厳の御魂のお役なり。乙姫様の力ぞ。音秘め様じゃ。音は火の働き。音を使うとは、火ばかりではないぞ。全ての振動が隠されておる。


火と水を組み組みて働く乙姫様とスサナル様の働きじゃ。どちらも自分。己が内に隠されておる。この結婚(魂)なくして九の道はない。結びは後でついてまいる。まず内なる結婚(魂)をせよ。形は後からじゃ。内なる形が外にも写るぞ。


掃除がまず先。神の出産は、神としての本来の働きを発揮するにはどうしても必要な九十。片働きがどうゆうものか知らなければ、出産はできん。一厘の仕組はそこかしこに仕組んである。どのフタを開けるのも自由なれど、フタの開け方は魂が知っている。白き道、肚九九理がまず先。一人一人の歩みの道。一筋の道。神でしかこの道は通れぬ。


神無くして通ろうとしても出来ぬ。他は全て片働きの道。己の内なる神に聞け。答えは己が知っておる。外に聞くと違う答えが返ってくる。皆己の不安から出た答え。不安無くなれば聞いても聞かんでも
同じ九十。どちらでも良いというのはこの九十。答えは始めから
決まっておる。全てに委ねる力。九の道を歩みたければ、九九に委ねよ。大いなる力が湧きあがって来る。全ての源が九九にある。 


神界の火・明るいぞ。日と月の働き、万倍の明るさじゃ。目あけておれまいがな。光の調節を皆がやっておる。魂レベルでだ。やらねば魂が光にまけてしまい、そのときの働きが出来なくなる。魂の成長に伴って除々に光の強さを上げていく。これが脱皮・魂の脱皮となり、魂本来の働きに戻っていくこととなる。すると魂は、本来自分が神であったことが、蘇ってくる。魂の成長の意味が九九にある。成長の程度に応じて光の強さを自分で調節していき、本来の姿に戻っていく。


これが蘇りじゃ。時期が来れば分かる。魂が本来の働きに戻ることを
出産という。片働きが、本来の光を取り戻して光り輝く魂となり、◎に帰るのである。このプロセスは神話の中に隠されておる。神話を紐解く意味がここにある。神話の秘密(火水)じゃ。仮型から真型へ移行、成長すると自分本来の姿が見えてくる。見えて来んのはまだ一八十の中であるぞ。徐々に見えてくる。


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出産間近な証じゃ。神示が降りるということは、神の真理のみでない、神の指針として受け取れ。神は二十○二(フトマニ)を使って出産のお手伝いをする。だから九九まで来いと言うておる。九九まで来たら、神が産婆するでの。スルリと抜ければそこは神界じゃ。〈神・人〉となるのであるぞ。九九まで来る(九渦)のに自力大切ぞ。神に向かう力じゃ。後は神に任せろ。これが他力じゃ。任せきれんのは己があるからぞ。


我を捨てろと申してある。我は九九までの役割。それからが神の役割。神の役割、取るでない。神無くしておるぞ。神の中に全てある。
自力も他力も全てある。自力無くす努力より、他力を取れよ。
否定するなと申してあろう。無くす努力、無駄飯食いぞ。全てあるのが分からんか。あるもの無くすこと出来んであろう。 


昇龍は白、下から上へ昇る力。降龍は金、上から降りる力。天津、国津で現しておる。昇龍と降龍、組み組みてこの地(血・霊)で花開く、これ蝶の乱舞で現しておる。結びの型示しじゃ。百千万の世界じゃ。人それぞれに働きあるなれど、この世の働き大切なれど、他楽きが他苦しきに終っている。


働きとは、他楽きであって、己も他も楽し楽しぞ。基が何か見てござれ、身欲・保身、蛇が潜んでいるぞ。真釣り外しの基じゃなあ。天には昇れまい。地を這うばかり、のたうち回るとはこのこと。地を這う者と天を飛ぶ者と出てくる。どちらも真釣りは出来まいがな。片働きの象徴としてある。天津・国津の片働きと申してある。


元は一つぞ、なれど働きは二つ。否定が否定を産んだ結果ぞ。基が自己否定にある。神なくしておると申したでないか。八方塞がりとはこの九十。抜け出れまいがな。次元が変ると分かる。否定はない九十がな。全て◎の計りの中で成り立っておる。全て◎の(渦二つ=必然の働き)の中であることが分かれば否定が無くなる。昇龍(みきり周りの渦)と降龍(ひたり周りの渦)の働き、法則してある。二十○二じゃ。二十○二が分からんと九代は使いこなせん。九代は働きを現しておる。働きとは現れ、現象ぞ。現象に囚われるな、とはその裏に二十○二が働いておる。二十○ 二は神でも変える九十できん。


変えれば神が神としての働きを否定することになる。否定は無いと
申してあろう。◎はこの二十○二を使って、全てを動かす原動力としている。自分が自分を産んでいくのと同じである。このようにして一瞬の休みもなく、神は創造の喜びを味わい、体験し、さらに又、創造を積み重ねて行く。喜びが喜びを産む道理分からんか。苦が苦を産む道理と同じ九十。いずれも自ら創造に係わっており、創造が創造を産んで行く。


これが神産みの喜び。神産みの喜び味わいたければ足元を見よ。神は全てを用意しておるぞ。なにも足らん九十はない。今いる九九、この中に全てがある。他には無い。神はいつも無条件、与え放しの喜びじゃ。放すと掴めると申したではないか。固く握っておいては掴めないがな。放せ、放せ。放して神産みの喜びを掴め。またそれも放せ。次々に喜びが入ってまいるぞ。神界にも二つ。一八十内の神界と外へ出た神界。


外の神界の型写しとなって現れている。九の座、竹を通った九の坐。坐とは人(神)・人の下に土が座っておる産土力じゃ。真釣り合っ神・人と成り、下で支える力、産土力じゃ。外との関係もそうであるぞ。人様を下で支えれば、神がその下からそなたを支える。どこまでいっても神が下から支えるぞ。陰働きと申してある。


下から支える苦労はせよ、すれば神の苦労の万分の一かは分かる。神の苦労は苦労する喜びぞ。親が子供の成長を楽しみにするのと同じ九十。型で示してある。親の苦労、子知らずとはよく言ったものだ。子は親になってみないと分からん。まして神の苦労、裏で支える苦労、
神となって始めて分かる。神が神に成る為にどれだけの苦労があるか
神になったら分かる。


神の苦労、申し訳なく、有り難く、涙あふれ出るぞ。神は全てを使って神成らせる為に働いているぞ。全てじゃ。神に成る以外、選択の余地は無い。ヨチヨチ歩きから、二本の足でスクリと立って、大地を踏みしめて歩く成人の意味が九九にある。歩いたら他楽け。神第一として働け。それが神事(仕事)じゃ。


神社参りばかりが神事ではないぞ。神の為に他楽く九十。これが神事じゃ。今の日常の中に全てあるぞ。「神の為」との言い訳通用せぬ。働いた九十が神の御用につながる。足場大切と申してあろう。今の足場離れての足場はない。今、九九が足場じゃ。神に仕える心(九九路)大切じゃ。神と人を分けては、この道理分からなくなる。


全て神の働きの現れ、無駄にするでない。己の内に深く入れ、外へは入れまいがな。深く入れば、神が見えてくる。大いなる力の幕開けじゃ。五十(イセ)の幕開けと申してある。五十の幕引きとは古い空を捨てて新しい時代に入る九十ぞ。ウズ芽殿が幕引きをいたす。九け(コケ)たものをつかって九けたもので幕を引く。


新しい幕開けの始まりじゃ。九九理の道は九九にある。皆が通る道。一人でしか通れないであろう。一人一人と申してある。この道、九道でもある。神示が降りるということは、言葉を使って言葉を解いて行く結果じゃ。言葉を握っていては解けまい。解くとは固定観念の元となっているものを見て解いていく。言葉の裏に隠れている蛇が見えんか。


身欲、保身、恐怖が隠れておるぞ。一つ一つ解いていけ。手放すと入って来ると申してある。宇宙、大いなる宇宙が入ってまいる。神示はいつもこの様に降りてくる。音楽も同じ九十。この者の因縁を使ってこの神示を降ろしておる。

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因縁とはかくの如く働くものじゃ。神でもこれをいじることは出来ぬ。なれど活用することは出来る。働きが働きとして働く所以だ。九の字を見よ、火(|)が出て水(―)が添い、昇る姿じゃ。十は「足り」火と水が真釣り合った姿ぞ。九に成りて始めて昇龍、降龍の力(スパイラルシート)が働くぞ。