精神の聖火を燃やす M677

精神の聖火を燃やす 



安岡正篤氏が、何十年も前に書いた言葉ですが、現代の日本にも、私達にもあてはまります。

                                                                                        • -


精神の聖火を燃やす 1


今や日本は明瞭に、個人的にも民族的にも社会的にも危険状態である。繁栄のように見えて恐ろしい没落に暴走している。どうしてもこれを救わねばならない。


どうしてこれを救うか。革命か?今日のような人間が高慢と独断と暴力とで行なう革命は、いかなる方法によるものであっても、それは畢竟(ひっきょう)人間にとって愚行と災厄(さいやく)にほかならない。


精神の聖火を燃やす 2


迂遠(うえん)なようであっても、結局これを覚(さと)って、感憤する者がおのおの真理とその精神の聖火を燃やすことのほかはない。その聖火の伝わることは意外に早くかつ強烈である。何人もその聖火を焚(た)くことができるか。何人でもできる。


その志と努力さえあれば、精神は人間本具(ほんぐ)の能力であるから、よく炎々(えんえん)たる聖火を燃え起(た)たせることができる。

 

 
現代の日本も、国家も企業も個人も危険な状態にあります。国家の政策も、社会の風潮も、そして、個人も、すっかり、アメリカの国家の思うままに魂を抜かれた操り人形になってしまっています。政治家も、官僚も、経済も、農業も、教育も、すべて中味よりも効率重視、国内よりもアメリカの利益が優先の現状になっているのです。

 
国土の田や畑は作物を作れるのに荒れ地と化し、マネーゲームや、心のない競争原理に国民の心は荒廃し、この機会に気づかなければ、取り返しのつかないことになります。繁栄のように見えて恐ろしい没落に暴走している。と、言うのは、国も社会も個人にも肝心の中味がないからだと彼は、言っているのです。

 
中味のない人間が何をやっても、結局、愚行と災厄(さいやく)になってしまうのです。国も企業も競争原理の成果主義で、教育も心を無視した競争をあおり、個人の中味の充実をないがしろにしてきたのです。この題名の、「精神の聖火を燃やす」とは、眠っている心の中の自分に目覚めて、意識を向けて働きかけなさい!ということだと思います。

 
次の2に、結局これを覚(さと)って、感憤する者がおのおの真理とその精神の聖火を燃やすことのほかはない。と、ありますから、食料も、石油も、生活の基盤となるものなのに、自分達の利益のために、マネーゲームのターゲットにしているのですから、感憤する者が多く出てくるのは当然です。本来の自分に気づき、その真理に覚醒し、心の奥の精神を意識し、火をつけることが現代の状況を乗り切る最良の方法なのである。と、言っているのです。

 
ゼロに至り、本来の自分に戻る!ということです。心に火をつけて、内面から輝くのです。内面を充実するのです。今回の世界的な金融恐慌は、内面を充実せよ!との世界規模のメッセージなのです。この内面を充実して輝いている人の内在神の業績は、多くの人に強烈に感銘を与えることができるのです。

 
これは、男性ばかりでなく、女性にも、主婦の人にも言えることです。自分にとっての望ましいことが頻繁に起こりますから、内面を充実させてください。志と努力さえすれば、精神は人間本来持っている
能力であるから、誰もが素晴らしい成果をあげることができるのです。

 
今の時代を乗り切るためには、心の体と精神の三者の一体化を意識して、がんばることだと思います。内面を充実させることが、あらゆる困難を乗り越えて、幸せになれるのです。



幸せの和

sikisi_ryu.jpg