「samadhi」(サマディ) M158

「samadhi」(サマディ)




日月神示より------------------------------


キつけてくれよ、キがもとざぞ、キから生まれるのざぞ、心配(こころくば)れと申してあろが、心のもとはキざぞ、総てのもとはキであるぞ、キはよろこびざぞ、人間みなそれぞれのキうへつけてあるのざぞ、うれしキはうれしキことうむぞ、かなしキはかなしキことうむぞ、おそれはおそれうむぞ、喜べば喜ぶことあると申してあろがな、
天災でも人災でも、人間の心の中にうごくキのままになるのざぞ。この道理判るであろがな。

 

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キとは氣のことです。「心のもとはキざぞ、総てのもとはキであるぞ、キはよろこびざぞ・・・」と、書いてありますが、氣のエネルギーはすべての根源である!と、日月神示ではキ=氣のことが詳しく書かれています。

 
「天災でも人災でも、人間の心の中にうごくキのままになるのざぞ。
この道理判るであろがな。 」これは、ハワイの秘法とも同じ概念になり、真理だと思います。氣はすべての根源なのですから、本当は、最初のマトリックス・マップの50の言霊の中に入っているはずなのに?不思議です。

 
今回の63の言霊のマトリックス・マップには、・根源の生命エネルギー=「氣」としてしっかり入っていますから、順番や書いている場所などは関係がない!とうことなのでしょうか。氣のエネルギーの概念から、すべての根源が氣で『命の根源』も宇宙の根源もすべてが氣なのですから、すべてが同じで一つなのです。

 
空気の様なもので、大切なのに見ることもできない。生物にとっては
氣が枯れると死んでしまう。これからは、心の時代になりますから、心のもとになる氣に関心を持つことが、これからの時代を乗り切るキーになると思います。63の数字の3ですが、3の付く「三昧」(ざんまい)という非常に大切な言葉がありました。

 
三昧の意味は、本来は、心を一つの対象に集中して動揺しない状態。雑念を去り没入することによって、対象が正しくとらえられるとする。と、辞書では、仏教の言葉の説明があります。一般には「贅沢三昧」とか「旅行三昧」とか使われていますが、仏教の本らいの意味とは違うようです。

 
仏教では、心を深めて「三昧」(ざんまい)に至るまでには九の段階があり「九次第定」という言葉もあります。九は最高の数字で九頭龍の龍神様にも関連しています。もう少し追求すると「三昧」とは梵語の「samadhi」(サマディ)に由来する言葉で、「心のままに」「奥義を究め、その妙所を得ること 」「雑念を離れ、心を一つの対象に集中した状態。この時、正しい知慧が起こり対象が正しくとらえられるとする」といった意味!になります。

 
サマディとは、心が深い没頭の状態であり、対象物の本質部分の中にも存在して溶け込むワンネスの意味もあります。

 
対象が正しくとらえられる!とは、「奥義を究め、その妙所を得ること、対象物に溶け込むこと!」になりますが・・・。奥義と言えば、命数も奥義になります。心を深めて「三昧」(ざんまい)に至るまでには、九の段階があり!と、ありますから、ミクロの命数を九つ書いてみます。

  
瞬息→弾指→刹那→六徳→虚空→清浄→阿頼耶→阿摩羅→涅槃寂静となります。この九つの命数に結びつけるために、心を深める三昧(サマディ)の過程をたどってみます。

 
まず意識を丹田の奥の一点に集中します。宇宙のすべてにつながって拡散している氣が丹田の一点に集中することをイメージします。丹田の一点に集中した氣のエネルギーが、さらに小さな点に集中してどんどん小さなところに収束して行きます。さらにその先の分子に収束して、その先の原子に収束して行きます。これは、意識で想像するからできるのです。
 

この微細な世界では、氣のエネルギーと意識は一つ一体化してしまうのです。対象物に溶け込み一体化する!原子のさらに1億分の1の大きさの、電子に意識が集中します。この電子の大きさが10のマイナス16乗分の1センチで、その数の単位が、「瞬息」(しゅんそく)になるのです。

 
先ほどのミクロの命数につながりました。

 
瞬息→弾指→刹那→六徳→虚空→清浄→阿頼耶→阿摩羅→涅槃寂静

 
息を吐ききった先に、瞬息→弾指→刹那があり、さらに六徳⇒虚空⇒・・・・・⇒涅槃寂静と深めれば、この過程が、三昧の九段階になるような気がします。サマディの意味は、心が深く没頭し、ワンネスの状態であり、対象物等の本質部分の中に溶け込む!ことですから、

 
自我を超越した神我(アートマン)と一体化し、さらに、ブラフマン
そのものにも溶け込んで一体化できるのです。心を丹田の奥の一点に集中すると心が統一され、大いなる自己に溶け込み一体化する、さらに意識を集中すると、三昧の状態になり、無限のパワーに溶込み『命の源流』に至る!

 
夢や願望の達成であっても、集中を深めれば、ゾーンに入る状態が長く続き、例え、三昧の状態にならなくとも奇跡が起きるのです。

 
6は無ですから無心の境地、ゼロの境地、『命の源流』になります。
マトリックス・マップの63の言霊のすべてが宇宙や万物の根源に至る
のです。マトリックス・マップの63の言霊の実体は、電子の大きさの
さらに1億分の1の大きさで、高次元に存在していることになります。マトリックス・マップを眺めるだけでも高次元とつながっていることにもなるのです。

  
63とは、無=ゼロの三昧となりました。先日、「龍が玉を抱えて『命の源流』の中に入っていきました。」という電話を頂きました。龍が抱えていた玉(タマ)とは、タマ(霊、魂、)とも書きます。龍神様は、心を深めて心のタマ(霊、魂、)を磨きなさい!と教えてくれたのかも知れません。

 
「龍場の大悟」を得た王陽明は、「聖人の心は、天地万物を以て一体となす」と説いています。これは自然と自分は一緒、私とあなたは一緒、太陽と私は一緒、草花と私は一緒・・・という考え方ですから・・・・。対象物に溶け込み一体化する!と、同じ考えになります。
 
 
今も昔も、龍神様の教えは、心を深めて心を磨いて『 命の源流 』に至りましょう!と変わらないのです。