十牛図 M868

十牛図



私達現代人は、表面的な知識しかありませんが、環境を破壊し生態系を破壊し続けている点では、重大な責任があります。価値観の崩壊は、何事も起きない平時には起きませんが、普段起きそうもない事が起きると価値観ががらりと変わります。病気や倒産など、よほどの事が起きない限り、日常の現状に対する有り難味を感じることもなければ、何かに特別に感謝することもありません。

 
病気になった人が健康の有り難味に気づき、今まで見えていなかったものが見えるようになった!と、何人もの人が言われます。この見えていなかったものが、自分が秘めている本来の力=元気の力を阻害していたので、病気になってしまったのです。「元気」という言葉や「自然治癒力」という言葉もあるのに、現代社会の仕組みの中で、私達は「本来の自己」に気づく機会は皆無です。

 
天は、私達に、既存の価値観を捨てて「本来の自己」に気づくために、様々な試練を与えているように思われます。現在の世界中を嵐に巻き込んでいる世界恐慌も、私達に「真の自己」に目覚めるための絶好の機会としてもらいたい!と、天は強く要望しているのかも知れません。特に日本は、国民を代表する総理大臣が、無責任な人ばかりが三代も続いていて、一人でもあり得ない無責任だったのに。

 
二度あることは三度あるといいますが、ますますひどくなり、百年に一度の危機のときに、1000年に一度もあり得ない最悪の総理大臣が、政治の実権を握っています。この現象は天は私達を見捨てたのではなく、私達に真の自己に目覚め、高い能力になりなさい!という天の計らいだと確信しております。

 
良いだけ私腹を肥やしている官僚さん達にも、気づきを与えてくれたことに対して感謝して、私達は「真の自己」に目覚めるのです。絶望の淵からの希望の光り!何もかにも、すべてを失い絶望の果てに本当の自己が現れる! 

 
内面の変化が起きなければ、外面的なものや結果には変化はありません。自分が変わらなければ周りの人も世界も変わらないのです。内面の変化には著しいものがあると言うことは、これからは、目に見えて望ましい変化を呼び寄せます。


捨ててこそ! ・死中活有り!身を棄(す)ててこそ浮ぶ瀬もあれ。


忘己利他! 己(おのれ)を忘(わす)れて他(た)を利(り)するは慈悲(じひ)の極(きわ)みなり。などの言葉がありますが、「真の自己」に目覚める最良の方法になります。

 
なぜか、禅の修行過程を十枚の絵であらわした「十牛図」を思い出しました。「十牛図」は少年(牧童)が、逃げて行方不明になった牛をさがす旅の物語です。

 
行方不明になった牛は、本当の自分の心=本心のことで、私達が求めている「真の自己」のことです。まず最初は牛を探しに出かける。そして牛の足跡を見つける。次に牛の一部、頭を見つける。遂に牛全体をみつけそれを捕らえる。捕らえて牛を飼い慣らすと続くのですが。


私は最初に読んだ時は、第七図あたりで、意味不明になりましたが、今は何となくわかってきました。第八図が円相になります。円相は空(から)の円ですから、『幸せの和』とも関連してきます

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今年は丑(牛)年で、平成21年で、空海と牛の関連が何もないと思っていたら、空海は還源(げんげん)という言葉を使っています。(かんげん)ではなく(げんげん)と読んでいるようです。この還源(げんげん)という言葉は、第九図の返本還源(へんぽんげんげん)から来ていることに気づきました。

 
返本還源(へんぽんげんげん)とは、心は真っ白、自由自在、天真爛漫、変幻自在。何のとらわれもない心が、宇宙と世界と一体になった。目に見えるものみな、美しい。会う人みな愛しい。この世は、自然は、精一杯光り輝いているではないか。何で今まで見えなかったのだろう。という意味のようです。

 
「真の自己」=本当の自分の心=本心に、ぴったりの説明になります。私達の能力は20歳をすぎると98%も失う!本当は失ったのでは
なく、既存の価値観が、覆い隠してしまって、本来の能力の2%しか
出せなくなっているのです。

 
さらに、蛇足ですが、南牟(のうぼう)の牟の漢字にも牛がつき、
釈迦=ゴータマ・シッダールタのゴータマとは最上の牛という意味になるそうです。


2009年の丑(牛)年に気づくのも何かの力が働いているようです。「十牛図」は、意識の変遷でもありますから、空海の意識の階梯でもあり、意識のマップでもあります。



第一図 尋牛(じんぎゅう) 

牛がいなくなっていることに気がつき探しにいきます。


第二図 見跡(けんせき)

牛の足跡を発見する。


第三図 見牛(けんぎゅう)

牛を発見する


第四図 得牛(とくぎゅう)

牛を綱で捕らえます。


第五図 牧牛(ぼくぎゅう)

牛を手なずけます。


第六図 騎牛帰家(きぎゅうきけ)

牛に乗って岐路につきます。


第七図 忘牛存人(ぼうぎゅそんにん)

牛がいなくなります。


第八図 人牛倶忘(にんぎゅうくぼう)

牧人がいなくなり、空白だけになります。


第九図 返本還源(へんぽんげんげん)

空白の世界から自然になります。


第十図 入てん垂手(にってんすいしゅ)

人間の世界で童子に手を差し伸べます。

 

真の自己に目覚めるために、空海も、能望の実践も、『幸せの和』も、意識のマップも、すべてがすべてにつながっていることが、わかってきました。素晴らしい「気づき」のお言葉を有り難う御座います。身口意を一致させ愛の波動とともに!を心して毎日を送りたいと思います。

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