屈する・無辺の光(果てのない光)

屈する・無辺の光(果てのない光)



Kさんから新軟酥の法の感想のメールを頂いておりました。専門家の鋭い目で分析されています----------------------------------


塾長


先日は、新軟酥の法のファイルを頂き、有難う御座います。10年くらい前から白隠が大好きで、その後、七田先生の本で虚空蔵菩薩真言を知り、空海のことが好きになりました。目に見えぬ世界のことを扱う関係上、理論を吸収するだけではなく、体得しなければなりません。


一度体得したからいい訳ではなく、次の日に同じことができるかといえばそうではなく、低迷したかと思うと、ある日突然、大きな飛躍が
できたりします。私は、ある武道の有段者ですが、能力開発は、まるで武道の修練のようであり、柔道や弓道のような「道」のようなものですね白隠空海のような偉大な先人たちも同じように悩んだり、喜んだりしながら道を究めていったのでしょうか。


白隠のいう「大悟徹底七度八度、小悟徹底枚挙に暇なし」となるべく、悩みも多いですが、わずかな進歩を喜びながら、今後も能力開発に取り組んでいこうと思います。教材を読みながら色々なことが頭をよぎっています。江戸時代の出版事情は詳しくは知りませんが、現代と同じく人々に益することが少なければ、すぐに絶版となり、忘れ去られてしまいます。


だから、白隠の書物が数百年経って、何度も絶版されながらも蘇ったのは奇跡だと思っております。古典というのは、何百年と世間の人々の評価に耐えて読み継がれたものです。例えば、「論語」が数千年も読み継がれているようにです。


古くから残っている書物には、残っているだけの価値があり、その価値に気づいた人だけが、それに新しい息吹を与えて蘇らせることができるのだと思います。10年前に挫折した軟酥の法をこうして新たに学べる機会を与えて頂いたことを心から感謝致します。さて、昨月、新軟酥の法が話題になっていた頃に、たまたま、キリスト教とヨーロッパの歴史を知る機会がありました。


ルネッサンス期を境として分けた場合、それまでは、キリスト教がヨーロッパの人々の霊性や精神を支配し、外部(国家や教会)に依存させるように仕向けたため、文化的に停滞していた時代であるといいます。キリスト教暗黒時代で、それが1000年近く続きました。ところが、14世紀頃にイタリアの人々が古代のギリシャ・ローマの学問と
精神を学び吸収したことをきっかけに、ルネサンスが興り、その後、大航海時代を経て、アメリカ独立、フランス革命産業革命など、ヨーロッパは目覚しい発展を遂げていくことになります。


学校の勉強として学ぶ世界史は、非常に退屈なものでありましたが、こうして考えてみると、この歴史の中に大きなヒントが隠されていると思います。ギリシャ・ローマの文化は、当然、古代のエジプトの叡智を内包しているはずです。ザ・シークレットの源流は4,000年前の古代エジプトにあるそうですが、ルネサンス期の人々は、ギリシャ・ローマの文化を学ぶと同時に、古代エジプトの叡智を吸収していったのではないかと推測しています。


そして、当時の人々は、外部の権威に依存する生活から、自分の内面に潜む偉大な力に目覚めたのに違いないと思います。「外部の権威に依存する生活から、自分の内面に潜む偉大な力に目覚める」という私の勝手な解釈ですが、ここに大きなヒントがあるように思えてなりません。


「外部の権威」とは、当時でいえばキリスト教であり、教会であり、封建国家でありましたが、現代では、偏差値や学校の優劣から始まって、会社のランクや規模、年収、格差などではないかと思います。そんなことでは人間の価値は決まらないのだといいつつも、こうした価値観に振り回されて、自分の内面に気づく機会は殆どありません。


自分の内面に潜む偉大な力」とは、白隠が自分の力で病気を治したような自然治癒力であり、当時の民衆から大名までを教化できるほどの自在性、霊覚、指導力であり、西洋では、イエスダ・ヴィンチエジソンリンカーンなど偉人たちの業績を生み出した力であり、つきつめれば、ガンジー大英帝国を打ち破ったような、それ以前で言えば、封建国家を崩壊させたような力だと思います。


初期のキリスト教や当時の国家が人々の霊性や精神を奪ったのは、人々の内面にあるこうした力を恐れたからだという考え方を主張する人もいます。「外部の権威に依存する生活」は、神経をすり減らし、ストレスを生み、エネルギーを奪います。しかし、この教材を読ませて頂き、「自分の内面に潜む偉大な力」とは、想像を絶するほどの
エネルギーを人に与えることができるということがわかりました。


重要なことは、その力に気づき、意識を深めてゆくことだと理解していますが、この軟酥の法に取り組み始めてから、「自分の内面に潜む偉大な力」を信頼することも重要だと気づきました。今まで自分が感じていた内面の行き詰まりを打ち破る方法として、全ての人や過去の出来事をゆるすということを実践していますが、加えて、この内面の力を信頼するということもこれから心がけて行こうと思った次第です。

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具体的にどうすればよいかはこれから分かると思いますが、さしあたって考えていることが一つあります。それは、現代では、「外部の権威に依存する生活」を切り捨てることはできません。また、ストレスも多いです。例えば、人間関係で嫌な思いをしたり、体の具合が悪かったり、訳もなく落ち込んだりします。しかし、たとえ1日数十分でも、能望、降龍(スパイラルシート)、軟酥の法を行うことで、何も環境を変えていないのに、何も問題が解決していないのに、幸せな感情や至福の喜びを味わうことができます。


能望 、降龍、軟酥の法を同時に行うことが多いですが、幸せな感情の深まりとエネルギーが強くなって行くのを実感します。人々が願望を達成したい理由は、この幸せな感情や至福の喜びを味わいたいからだということを最近知りました。であるならば、何もないところで幸福と喜びを感じることのできる毎日って素晴らしいなと思います。

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この積み重ねが引き寄せの法則を強力に発動させることになるのでしょう。私は、これを能力開発の基礎と位置づけています。また、新しい成果がでると確信していますので、改めて報告をさせて頂きます。今後とも宜しくお願い致します。有難う御座いました。

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素晴らしい文章を書いて頂き有り難うございました。


>今まで自分が感じていた内面の行き詰まりを打ち破る方法として、
>全ての人や過去の出来事をゆるすということを実践していますが、
>加えて、この内面の力を信頼するということもこれから心がけて
>行こうと思った次第です。


過去の出来事や、眼の前に起る現象に対して、あるがままに受け入れて許すということは、心を開き受容する事になります。これは、心を豊かにして行く実践にもなります。この実践は、レベルの高い受容のレベルなので、なかなかできるものではありません。素晴らしいことです。

 
白隠禅師の内観の四則に「己身の弥陀」があります。「本来の面目」「本文の家郷」「唯心の浄土」「己身の弥陀」この最後の弥陀(みだ)は、南無阿弥陀仏の「阿弥陀」からきています。

 
「南無」「阿弥陀」「仏」をそれぞれ分けて語源や意味を調べて
みると、「南無」は、サンスクリット語で「屈する」という意味を持つ「ナマス」という言葉を音写したもので、南摸(なも)とか南牟(のうぼう)と同じ語源になります。その意味は 帰依、帰順、帰命などとなり、心から信じる、まかせる、従う、となります。「阿弥陀」は、「無量の命(限りない命)」を表す「アミターバ」という言葉と、「無辺の光(果てのない光)」を表す「アミターユス」という言葉の語幹で、無量、無辺、となり、私達には量り知ることができないという意味になります。

 
「仏」は、ブッダ仏陀)というサンスクリット語の語源になります。仏教では、悟りを開いた者という意味で使っています。白隠禅師は、私たちの心の奥には、阿弥陀仏が宿っているのですよ。と、言っているのです。そのことに早く気づいて、実感して、日常生活にも活用して下さい!と、教えてくれているのです。ですから「阿弥陀」とは、無限のパワーとか、万物の創造の源の意味にもなります。

 
私達は、自我に目覚めて以来、自我を主とし、自我を拠り所として生きてきました。それはまさに「南無自我」という生き方なのです。「南無自我」の生き方では苦悩が多すぎるので、自己の内にある阿弥陀仏に南無(帰依)することで深い喜びを伴った救いがもたらされる!と、白隠禅師は教えてくれているのです。

 
それは、軟酥(なんそ)の法や降龍などでも自覚できるようになります。Kさんも、実感されていることと思います。


>能望、降龍、軟酥の法を同時に行うことが多いですが、幸せな
>感情の深まりとエネルギーが強くなって行くのを実感します。
>人々が願望を達成したい理由は、この幸せな感情や至福の喜びを
>味わいたいからだということを最近知りました。

 
素直に心を開き、身を委ねて、南無が自然にできると高揚感や至福感を感じるようになります。これは、未知の領域から、より多くの贈り物を受けとる心の準備でもあります。望ましい現実を招くには、心を豊かにすることが先決なのです。

 
無心になり、ただひたすら至福の喜びだけを感じることに専念することです。内なる無限のパワーが、望ましい未来を実現してくれます。「南無自我」の状態をいかに遠ざけて、ノウボウ・アキャシャ、あるいは、南無阿弥陀仏の状態になれるか!これがカギになります。それでは、さらなる進化をお祈りします。