比べるから苦しむのだ M1011

比べるから苦しむのだ



致知」(ちち)という雑誌に、戦争で、悲惨な体験をした人の物語が載っていました。私の父親も戦争を体験しており、この方達と同じ世代なので、人事(ひとごと)ではなく、非常に感動しながら読ませて頂きました。

 
いかに、現代の私達は恵まれているか?いくら感謝しても足りないほど恵まれているのに、天に申し訳ないと自責の念にかられます。この方の心情を思うと何度読んでも、こみ上げるものがあります。

 
この時代を乗り切り、私達の世代まで日本を支えてくれた大勢の先輩達がいたから、現代の私達の存在があるのです。ですから、感謝の念でいっぱいになり、身の引き締まる思いになります。それでは、読んで下さい。「致知」(ちち)という雑誌から抜粋ました。


「足なし禅師」と呼ばれた禅僧がいた。小沢道雄(どうゆう)師。大正9年生まれ。幼年期、曹洞(そうとう)宗の専門道場で修行。20歳で召集を受け満州へ。昭和20年、25歳で敗戦。シベリアに抑留され強制労働。だが、肩に受けた銃創(じゅうそう)が悪化し、役立たずは不要とばかり無蓋(むがい)の貨車で牡丹江(ぼたんこう)の旧日本陸軍病院に後送される。


氷点下4、50度の酷寒に夏服のままで、支給された食料は黒パン1個、飲み水もままならず、3日間を費やした工程で死者が続出した。小沢師は死こそ免れたが、両足が凍傷に冒された。膝(ひざ)から切断しなければ助からない。その手術の担当軍医は内科医で外科手術はそれが初めて、麻酔薬もない。


メスを執った軍医がしばらく祈るように目を閉じた姿を見て、小沢師はこの軍医に切られるなら本望だと思い定めた。想像を絶する激痛。歯がギリギリ噛(か)み合い、全身がギシッと軋(きし)んで硬直した。すさまじい傷みは1か月余り続いた。


8月に突然の帰国命令。歩けない者は担架に担がれ、牡丹江(ぼたんこう)からハルピン、奉天(ほうてん)を経て胡慮(ころ)島まで、千五百キロを徒歩で歩くことになった。だが、出発して3日目の朝、目を覚ますと周りには誰もいなかった。満州の荒野に置き去りにされたのだった。


あらん限りの大声で叫んだ。折よく通りかかった北満から引き揚げ途中の開拓団に救われたのは、僥倖(ぎょうこう)というほかはなかった。崖(がけ)っぷちを辿(たど)るようにして奇跡的に帰国した小沢師は、福岡で再手術を受け、故郷相模原(さがみはら)の病院に送られた。母と弟が面会に来た。


「こんな体になって帰ってきました。いっそのこと死のうと思いましたが、帰ってきました」言うと、母は膝までの包帯に包まれた脚を撫(な)で、小さく言った。「よう帰ってきたなあ」母と弟が帰ったあと、小沢師は毛布をかぶり、声を殺して泣いた。


懊悩(おうのう)の日は続いた。気持ちはどうしても死に傾く。その果てに湧き上がってきた思いがあった。比べるから苦しむのだ。比べる元は27年前に生まれたことにある。27年前に生まれたことを止(や)めて、今日生まれたことにしよう。


両足切断の姿で今日生まれたのだ。そうだ。本日たったいま誕生したのだ。足がどんなに痛く、足がなく動けなくとも、痛いまんま、足がないまんま、生まれてきたのだから、何も言うことなし。本日ただいま誕生!深い深い覚悟である。


一、微笑(ほほえみ)を絶やさない

一、人の話を素直に聞こう

一、親切にしよう

一、絶対に怒らない


小沢師はこの四つを心に決め、58年の生涯を貫いた。命の炎を燃やして生き抜いた足なし禅師の人生だった。「主」という字の上の「`」はロウソクの炎。「王」は台のこと。自分のいる環境を照らして生きる人のことを、主という。


命の炎を燃やして生きるとは、自分が自分の人生の主人公となって生きることである。 この方は、懊悩(おうのう)の末に、27歳の時に、生まれ変わることを決意したのです。


懊悩(おうのう)とは、悩みもだえること。「― の極み」「人生の岐路に立って― する」と、辞書には、ありますが、この言葉で、彼の深い悩みの果ての覚悟が伝わります。

 
そして、その覚悟は、自我をなくして、ずばり意識レベルを向上させることだったのです。この苦悩の果ての覚悟は、最愛の一人息子を幼くして亡くした松下幸之助氏にも似ています。松下幸之助氏も新たな出発の日がありました。

 
1932年5月5日、幸之助氏は商売人の使命を自覚して、その年を「使命を知った日」として命知元年とし、毎年5月5日に創業記念式典を行っています。この日が松下幸之助氏の生まれ変わった日だと思われます。

 
自分の我を捨て、従業員をわが子のように思う。得意先、お客さんを優先する。素直になる。そして、感謝を深める。彼も意識レベルを高める覚悟でした。

 
ワコールの創立者塚本幸一氏も、同じことが言えます。激戦の地インパール。55人の部隊のうち生き残ったのは、わずか3人だった。多くの戦友を失い、日本へと向かう復員船のなかで、塚本氏は自らに問いかけた。


「なぜ自分は生きているのか?」「わたしはねぇ、昭和二十一年六月十五日に復員して、これからの人生は生かされたといいいますか、お預かりものの人生だと思ったわけです。」

 
彼も、この時以来生まれ変わったのです

 
3人に共通しているのは、深い深い自己対話のすえの覚悟です。深い深い自己対話は、自分の心の奥底の魂との対話でもあるのです。


彼らは、この世に生かされていることだけでも深い感謝があります。小沢道雄(どうゆう)師の言葉の一つ一つに重みがあります。

 
一、微笑(ほほえみ)を絶やさない

一、人の話を素直に聞こう

一、親切にしよう

一、絶対に怒らない

 
ここには、感謝の言葉はありませんが、それは当然のことであり、あえて言葉に出さなくとも暗黙の了解なのです。私たちの生かされている環境に感謝を深めて下さい。
 

パワーアップノート(ファイル一式 内容:言霊一体化セット・願望達成シート)

パワーアップノートで意識レベルを上げれば、誰でも成功が約束され、未来予測が可能に!

自分の意識レベルを高めて、潜在意識に直接コンタクトをとり、確実に成功する方法を100%の正確さで教えてくれるのですから、今までどこにもなかった成功法です。

一つ一つ手作りで、B5版の特大の、5つの和と9つの和、文字の和があるだけでもゼロ磁場となり、運とツキを呼び込むパワースポットにもなるほどの強力なエネルギーがあります。


power2.jpg