聖徳太子からの伝令  M652

聖徳太子からの伝令
 


聞きなれない言葉が出てきますが、奇跡のようなシンクロです。


国宝観音菩薩立像(救世観音)は八角円堂で知られる法隆寺
夢殿のご本尊で、秘仏として長い間人目に触れず過ごしてきた
仏像でした。


飛鳥時代に造られた樟の木の一木造りです。


像178.8cm、下地は漆を塗り、白土地に金箔を押している、保存もよく、いまなお金色燦然と、当初の漆箔が輝いています。


独特の体躯の造形を有し(体躯がやや扁平で、S字状のポーズ)、杏仁形(アーモンド形)の目や古式な微笑みをたたえる表情は神秘的で、手にはすべての願いがかなうという宝珠を持っています。


761年(天平宝字5年)の記録に「上宮王(聖徳太子)等身
観世音菩薩像」とあり、聖徳太子の等身像ともいわれて
秘仏でありましたが、明治17年アメリカ人の学者フェノロサ
近代美術の先駆者、岡倉天心によって像を幾重にも覆っていた
長い白布が除かれ、広く世に知られるようになりました。


当時、この秘仏の白布をとることは、聖徳太子の怒りに触れ、
地震が起こると言われていました。


そして、天心とフェノロサが布をとるとき、法隆寺の僧たちは
恐れをなして、逃げていったと言われております。


フェノロサは、その秘仏の顔を見て、アルカイックスマイルと
言ったそうです。


法隆寺には、夢殿を含めて、金堂や五重の塔など19の建物が
あります。


その中に、1121年(保安2年)、東室の南側の一部を改造した
聖霊院があり、そこには、聖徳太子座像があります。


特筆すべきは、この聖徳太子座像の中には、胎内仏として、
国宝・救世観音があります。


この胎内仏は丁度、太子像の口に当たる部分に内蔵され
ていて、写真で見るとカメの台座に蓬莱山(富士山)、そして
頂上に観音様が玉を持っているのです。


この観音様は小さいですが、上記の夢殿の救世観音と同じ形を
しているので、救世観音と名づけられているのです。


聖徳太子の等身大の救世観音が、八角形の夢殿にあり、
その他にも、小さな、太子像の胎内仏の救世観音が、2つあると
言うことなのです。


救世観音とは、その名の通り、世界を救う観音様のことです。


明治17年アメリカ人の学者フェノロサと近代美術の先駆者、
岡倉天心によって、秘仏であり、包帯のような長い白布で、
ぐるぐる巻きにされていた、分けありの仏像のベールがはがされ
たのもすごい出来事だったと思います。


天心とフェノロサが布をとるとき、法隆寺の僧たちは恐れを
なして、逃げていったと言いますから、天地がひっくり返るほど
の出来事だったと思います。


聖徳太子の怨念や怒りがあると、何世紀に渡って、言い伝え
られてきたのですから。


この恐れは、聖徳太子の意識レベルとは、かけ離れたもの
でした。

 
和を以て貴しと為す」という言葉で始まる十七条憲法
604年(推古天皇12年)の4月3日に聖徳太子によって発表された
日本で最初の憲法です。


当時、物部氏蘇我氏など豪族同士や皇族の間で様々な
権力争いがあり、太子はこれらの血で血を洗う権力争いを
見つづけてきました。


太子は日本は諸外国との関係を考え平和な一つの国家とし
てまとまりを持つ国にならなければ巨大な勢力「中国」の属国に
なってしまうだろうという危機感を抱いていました。

 
そうならないためには国をまとめる必要がありました。太子は
当時大陸から入ってきた仏教の教えを基に十七条憲法を作ったの
です。


一に曰く、和をもって貴しとなし、さかふることなきを宗とせよ。


二に曰く、あつく三宝を敬え。三宝とは仏法僧なり。


三に曰く、詔を承りては、必ずつつしめ。君をば天とす。
(以下十七条まで続きます)


太子が言いたかったのは、縄文の昔から、日本人が継承して
きた「和の精神」だったと思います。


太子の生きた時代は、現代にも似ているような気がします。


「和をもって貴しとなし!」という言葉に尽きると思います。



                • 十七という数字--------


十七条という条数は、陰(偶数)の極数8と陽(奇数)の極数9をたしたもので陰陽思想の影響といわれています。


この極数とは、当時の陰陽思想で、十を完全な数として数の
頂点として考えます。


しかし十は最上なため満ち足りると次は全てがなくなってしまうという考えから、十よりは「九」を陽の最上の数(極数)、八を偶数の最上の数と考え、天の数として
神聖視していました。


明治17年に、アメリカ人のフェノロサと、日本人の岡倉天心
白い布をはがされた!というのも、17という数字ばかりでなく、
何か深い意味があるように思われます。


蘇我氏の横暴、欧米人の横暴・・・。

 
そして、胎内仏は、カメの台座に富士山、そして頂上に観音様が
玉を持っていて、しかも、夢殿の救世観音と同じ立った姿で、
国宝 「聖霊院 胎内仏」という名前がついているのですから、
驚きです。


最近の主題は、胎児です。


これは、自分の表面意識にではなく、意識下にあった、胎内仏からの発想だったのだ!と感じました。

 
日本の仏像に多く見られ、入魂のために入れられた胎内仏、
私は、空海の展示会に行ったとき、小さな毘沙門天の胎内仏の
像をみたのを思い出しました。


9頭龍の夢を見たときから、胎児の主題からそれていましたが、
9の数字も、富士山も、亀(玄武)も、胎内仏も、すべてが関連しています。


亀に乗って行くのが竜宮城です。


法隆寺から見たら、北の方角の富士山のエネルギーは、
龍脈でつながっております。


法隆寺を守る、龍田神社の説明文です。


聖徳太子が16歳の時(589)、飛鳥から来られて、法隆寺
建立の地を平群川(竜田川)に沿って探しておられました。


この折りに白髪の老人が現れて「ここから東に斑鳩が群棲して
いる郷がある。優れた土地である。そこに伽藍を建てなされ。」と告げ、そこは仏法が末永く興隆する地として伽藍建立に適したところであるという。


太子が白髪の老人にどういう方かとお尋ねすると、「私は龍田山の裾に住み、秋の紅葉を楽しんでいる間に千余年を過ごしてしまった。」といったので、太子は「あなたはこの地の守護神なのですね。


私の建立する寺をお守り下さい。」とお願いすると、「吾、守護神たらん。」といわれた。


この老人こそが、龍田明神の化身であったという。しかし、
三郷立野の龍田大社(本宮)は遠いので、斑鳩龍田神社を祭り、法隆寺の鎮守としたのだと伝えられています。


この境内の蘇鉄の巨樹は昭和32年(1957年)に、県の記念物の
指定をうけました。


竜田川に龍田山そして、龍田明神に龍田神社ですから、
やはり!と、うなずいてしまいます。


フェノロサは、秘仏の顔を見て、アルカイックスマイルと言った
そうですが、アルカイックスマイルで有名なのは、弥勒菩薩の半跏思惟像の微笑みです。


夢殿の救世観音も、「聖霊院 胎内仏」も、弥勒菩薩も、
現代の社会を救う救世主です。


聖徳太子の奨励した「和の精神」をすべての人が持つことが
できれば、意識レベルは600以上もありますから、すべての人が
成功できて、幸せに暮らすことができるのです。


そのためにも、胎児のレベルから高い意識を育てて行き、
どんな人も持っている「大いなる自己」に到達できるマトリックス願望達成法に確信を持てるのです。


あるがままの光輝く自分=真如に少しでも近づくことができれば、誰もが、あらゆる分野で望ましき現実が可能になってきます。


ですから、現代の厳しい状況を克服できる救世主になることが
確信できるのです。


「和の精神」の大切さを再認識し、聖徳太子から後押しされてい
るようです。