九死に一生(2) M262ー2
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- 「九死に一生」1の続き-------
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比べるから苦しむのだ。
比べる元は27年前に生まれたことにある。
27年前に生まれたことを止(や)めて、今日生まれたことにしよう。
両足切断の姿で今日生まれたのだ。
そうだ。
本日たったいま誕生したのだ。足がどんなに痛く、足がなく動けなくとも、痛いまんま、足がないまんま、生まれてきたのだから、何も言うことなし。
本日ただいま誕生!
深い深い覚悟である。
一、微笑(ほほえみ)を絶やさない
一、人の話を素直に聞こう
一、親切にしよう
一、絶対に怒らない
小沢師はこの四つを心に決め、58年の生涯を貫いた。
命の炎を燃やして生き抜いた足なし禅師の人生だった。
「主」という字の上の「`」はロウソクの炎。「王」は台のこと。
自分のいる環境を照らして生きる人のことを、主という。
命の炎を燃やして生きるとは、自分が自分の人生の主人公となって生きることである。
この方は、懊悩(おうのう)の末に、27歳の時に、生まれ変わることを決意したのです。
懊悩(おうのう)とは、悩みもだえること。
「―の極み」「人生の岐路に立って―する」と、辞書には、ありますが、この言葉で、彼の深い悩みの果ての覚悟が伝わります。
そして、その覚悟は、自我をなくして、ずばり意識レベルを
向上させることだったのです。
この苦悩の果ての覚悟は、松下幸之助氏にも似ています。松下幸之助氏も新たな出発の日がありました。
1932年5月5日、幸之助氏は商売人の使命を自覚して、その年を「使命を知った日」として命知元年とし、毎年5月5日に
創業記念式典を行っています。
この日が松下幸之助氏の生まれ変わった日だと思われます。
自分の我を捨て、従業員をわが子のように思う。得意先、お客さんを優先する。素直になる。そして、感謝を深める。彼も意識レベルを高める覚悟でした。
塚本幸一氏も、同じことが言えます。
激戦の地インパール。55人の部隊のうち生き残ったのは、わずか3人だった。
多くの戦友を失い、日本へと向かう復員船のなかで、塚本氏は自らに問いかけた。
「なぜ自分は生きているのか?」
「わたしはねぇ、昭和二十一年六月十五日に復員して、これからの人生は生かされたといいいますか、お預かりものの人生だと思ったわけです。」
彼も、この時以来生まれ変わったのです。
3人に共通しているのは、深い深い自己対話のすえの覚悟です。
深い深い自己対話は、自分の心の奥底の魂との対話でもあるのです。
私達の日常のレベルでは、この領域まで到達するのは稀なことです。
ですから、自分の心の中に全く新しい胎児を育てるのです。
まだこの世に生まれてもいない段階から、自分の最愛の胎児を、自分の心の中に育てるのです。
西洋型の資本主義社会の中では、企業も個人も、自分の心に宿る住人を、天使でなく悪魔に育てることが常識でした。
ですから、本当の自分にたどり着くことができず、凍り付いて
身動きができないのです。
子供も、大人も、学校でも社会でも日本の古来からある美しい心を捨てて、西洋の卑しいケダモノノ心を選択したのですから、
全く新しい胎児の状態から育てる方法が、賢明なのです。
自分の心の中に全く新しい自分の分身である胎児を育てる
ことになれば、どんな人も、悪魔に育てあげることないと思います。
戦後の教育は、和の精神と、喜びと繁栄に導くエネルギーを
否定してきました。
深い深い自己対話で、自我を捨てることができれば、本当の自分にめぐり会ううことができて、松下幸之助さんや、塚本幸一さんのような世界的な実業家にもなれるのです。