空海マンダラ展  M523

空海マンダラ展



開運とは、運を開くという意味です。


心も、開く!とか、閉じる!と表現します。


ですから、運と心は、一心同体のように密接に関連している
のです。


心を開くとは、開いた心から、心を出すということです。


心を出すとは、心のエネルギーを出すということです。


心から心のエネルギーを出すことが、運気を高めることであり、
開運そのものになるのです。


心のエネルギーを出すということは、気持ち、気心(きごころ)、
気を籠(こ)めたおもてなし、思いやり、気づかい、などと言います
から、明らかに氣のエネルギーのことです。


心に留めるだけでは、何の現象も起きません。思いやるとか、
気配りをするとか、心がけるとか、心を開いて、自分の気持ちを
外に出す事が、外に向けて与えることが、開運につながるのです。


自分のことだけを考える西洋流の能力開発では、いくらプラス
思考を心がけても、心は開かないので、意味がないのです。


能望を100万回唱えても、西洋流の自己中心主義では、
違う方向に向かい、空回して、むなしい結果になるだけなのです。


心を閉ざしたままでは、運気も、開運も、いつまでも氷ついた
ように閉ざされたままで、すべての運が封印されて、望ましい
現象は起きないのです。


開運という言葉から、運命を開く!という言葉からも、命を
運ぶためには、何が大切なのかはっきりと見えてきます。


すべての命は愛でもあるのです。この隠されたシークレットに
一部の人しか気づいていないために、この世に天国と地獄がある
のです。


幸運を呼び寄せるのも、不幸を招くのも、すべて自分の心が
開いているかどうかにかかっているのです。


心の扉が、岩戸の扉と、籠の檻(おり)=牢獄の扉と同じなの
です。


心を扉を開くということは、心のエネルギーを出すことも、
その反対に、心に受け入れる事も、その度合いがどんどん
大きくなります。


あの人は頭が良くて、よくデキルる。 けれども人を、受け容(い)れ
ない。と、言う例が、現代人には当たり前の常識になっています。


プライドの籠の檻(おり)=牢獄に閉じ籠められて、心の扉を
閉ざしているために、すべてを否認して受け容れることができ
ないのです。


受け容(い)れるとは単なる、受け入れる状態から、→受け容れる
状態になることです。


受け容(い)れるの容れるは、一般には溶(と)けると読みます。


溶(と)けるとは、液体の中に砂糖が溶けるように、相手の心の
波動に溶け込む事です。


受容の受け容れるとは、否認しないで受け容れるのです。


身も心も溶け込んで一体化することです。
自分から溶け込もうとしないと相手の波動も、受け付けません。


これは、望ましい物の現実化も、未来におきる望ましい現象も
同じことです。


望ましいことに身も心も溶け込み一体化すると、望ましいことが
現実化されます。


 マイナスの籠に閉じこもっている多くの人は、籠の中のマイナスの
情報に身も心も溶け込んでいるから、マイナスの嫌なことばかりが
現実化して起こっているのです。


このことに気がつかない人が多いので、一刻も早く、心を開くように
して下さい。


受容のレベルには、超越、円満、慈悲、調和、創造、寛容、気高い
などの言葉があります。

 
人間の大きさ、深さを量る言葉として、器量や器(うつわ)があります。


あの人は、器(うつわ)が大きい!などと、表現します。


人間の大きさ、深さを量る、器量とか器とかは、頭ではなく心の
事です。心が受け容れる量がどんどん大きくなると、器量が大きく
なり、協力者も、望ましい情報も、運もツキもどんどん集まってくるのです。


さて、今回の空海マンダラ展の様な国宝の展示会は、北海道では、もう二度とないと思われます。全国的にも、国宝の展示になると、四半世紀に1回あるかないか、文部科学省からの許可は、なかなかおりないからです。


さて、昨日は、空海の直筆の『聾瞽指帰(ろうこしいき)』 国宝
を堪能させてもらいました。


空海直筆の『聾瞽指帰(ろうこしいき)』を北海道で、二度も見る
ことができたは本当にありがたい奇跡のようなことです。


次に、「諸尊仏龕(しょそんぶつがん)、金剛峯寺
という20センチくらいの棚つきの仏壇状のケースを拝見いたしました。


空海が師の恵果から贈られた物で唐時代(8世紀)のもの
だそうですが、素晴らしい精巧な彫刻で、中央に阿弥陀如来
左右に菩薩、それを取り囲んで諸尊がその小さな空間全体に、
並んでおりました。これも、 国宝です。


合うのという字の下に龍の文字で、龕(がん)と読みます。
この文字にも意味がありそうですね。


先ほどの、聾瞽指帰(ろうこしいき)の聾の字は、龍の下に耳
ですから、1度目の時は気にならなかったのですが、なぜか
2度目は龍を意識してしまいます。


それから、一番、衝撃を受けたのが、『浮彫九尊像(柿木九尊仏)』という作品でした。あまりにも小さいので、一瞬、携帯電話のように見えました。


携帯電話かタバコの箱くらいの大きさの中に、九体の仏像が、
マンダラの形に並んでいるのです。


小指の爪くらい小さな仏像ですから、顔などは米粒のようです。
これを、浮彫にしたのですから、究極の細工です。

これには、本当に敬服しました。携帯用の仏像です。しかも、
九体もこの小さなスペースに並んでいるのです。


胸のポケットにも入れれる大きさです。


常に身につけて持ち運びできるように、昔の人の思いが伝わり、
ジーンと来てしまいました。


この、究極の技を見るために、この会場に誘導されたように
思われました。


この小さな、ポケットサイズの『浮彫九尊像(柿木九尊仏)』を
見れば見るほど、自分が情けなく、恥ずかしく、自責の念が湧いて
きたのです。


 
実は、私は、先日まで、九頭龍の名刺は、できないと決めつけて
いました。


連休前から、九頭龍の色紙ではなく,携帯ように持ち運べる
小さなサイズの名刺サイズの九頭龍の依頼がありました。


九つの和の名刺の時も、不可能と思われたのに、名刺に書いた
小さな九つの和の中に五龍と四竜を筆で書くのですから・・・・。


無謀なことのように思っていました。


はじめから、ムリ!と決め込んで、試作する時間もないし、考える
余地もなくて、そのまま保留になっていたのです。


「いくら何でも、それは自分にはできないだろう!」と、自分で自分の壁を作っていたのです。


できない!ときめつけたら、人は、できない正当な理由をみつけて、
自分を守ろうとします。


私も無意識に、これをやっていました。


私の書く墨の中には、700種類の物質が入っているセラミックや、
水晶やヒスイなどの宝石が磨り込まれていて、ざらざらして、筆先は
すぐに割れて使えなくなり、小さな文字が非常に書きにくい! 


九頭龍の名刺に仕上げるには、様々な創意工夫が必要となり、
それこそ究極の技・(業)となり、今の自分の技・(業)では・・・!


とても、とても、できるわけがない!・・・と、


ここで、業(ギョウ)!が出てきました。


不可能を可能に変える、ダブル九字切りの最後の文字のギョウです。


最初の最後の文字が前で、次のが業ですから、今まで、
一枚一枚九字を切っていたのは、自分の脳にも、前よりは業(わざ)を高めろ!という命令をインプットしていたのかも知れません。


何かに導かれて、空海マンダラ展に行き、浮彫九尊像(柿木九尊仏)を見せられて、カツ!を入れられたのですから、龍のパワーなのかも知れません。



・自分の運命の命数を「運命幸運数」に変える方法を九頭龍のパワーから学びました。


・誕生日のことを命数といい、数の単位の事も命数と呼ばれており、
 このシンクロには、驚いておりますが、八識→九識→と、次元を
 突き抜ける意識で、命数を「運命幸運数」に変える、ダブルの方法を使えば、2000年の封印が解けることもわかってきました。


童子の名前からも、清浄、こんがらなど、仏教と関連している
命数の確認ができました。


・そして、極めつけは、空海マンダラ展での、浮彫九尊像(柿木九尊仏)を見た奇跡です。


 →六徳 (りっと く)→空虚( くうきょ) →清浄 (せいじょう)と至り


次元を超えた、阿頼耶(あらや)→ 阿摩羅(あまら)→涅槃寂静
(ねはんじゃくじょう) 八識→九識→と、丹田の一点に意識を集中
させます。


阿頼耶識(八段階目の心の作用)…無意識の心。
一切法を含蔵することから,含蔵識とも云う。⇒七識+阿頼耶識=八識


◎阿摩羅識(九段階目の心の作用)…根本浄識,自性清浄心または,
本覚,仏識。仏の生命を表すものとして,輪郭のない球形で表現。
⇒八識+阿摩羅識=九識

 
このように、意識を、次元を超えた、阿頼耶(あらや)→阿摩羅(あまら)の九識まで、丹田の一点に集中させると。


奇跡が起きて、名刺に書いた小さな九つの和の中に、みごとな
生きた龍と竜が書けるのです。



九頭龍の名刺の完成です。
 

書けないと思いこんでいた自分の壁を破って、運命を変える程の
奇跡の現象が起きたのです。


自分の心の壁を破り、運命を好転させる、次元を超えた
八識・阿頼耶識と→九識・阿摩羅識のなせる業だと思います。


多くの皆さんの成功のために、一心になることが、奇跡の
パワーが生まれる源にもなっています。


高次元からの因果関係の(ABC⇒A→B→Cも意識しました。)


自分の力量からは、神業のようなものです。


真剣白羽取りや、空気投げ、弓の名人の暗闇の中でも的に当たる
という、神業は、このような境地から生まれるものと思いました。


針の穴にラクダを通すには、この奥義しかありません。


そして、完成した九頭龍の名刺の氣のエネルギーも、九頭龍の色紙に
負けてはいません。


このままで、病気の治療に使える程、びりびりしびれてきます。
 

九と九ですから、最高に縁起の良い数字です。


九頭龍の名刺を広めなさい!という天からのメッセージだと思います。