妖女のおくりもの  M914

妖女のおくりもの




ジャックと豆の木の原作本は、「妖女のおくりもの」という題名であることがわかりました。物語の一番最後のところを抜粋します。ジャックは、大男に見つかり、竪琴を持って、豆の木をおりてきたところです。大男もジャックを追って、豆の木をおりています。

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そこへおかあさんが、斧をもってかけつけたので、ジャックは斧をふるって、いきなり、はしごの根もとから、ぷっつり切りはなしました。


そのとき、まだ、はしごの中ほどをおりかけていた大男が、切れた
豆のつるをつかんだまま、大きなからだのおもみで、ずしんと、それこそ地びたが、めりこむような音を立てて、落ちてきました。


そして、それなり、目をまわして死んでしまいました。

 
ちょうどそのとき、いつぞや、はじめてジャックにあって、道をおし
えてくれた妖女が、こんどはまるでちがって、目のさめるように美しい女の人の姿になって、またそこへ出て来ました。


きらびやかに品のいい貴婦人《きふじん》のような身なりをして、
白い杖を手にもっていました。


杖のあたまには、純金《じゅんきん》のくじゃくを、とまらせていました。


そしてふしぎな豆が、ジャックの手にはいるようになったのも、
ジャックをためすために、自分がはからってしたことだといって、


「あのとき、豆のはしごをみて、すぐとそのまま、どこまでものぼって行こうという気をおこしたのが、そもそもジャックの運のひらけるはじめだったのです。あれを、ただぼんやり、ふしぎだなあとおもってながめたなり、すぎてしまえば、とりかえっこした牝牛《めうし》は、もし手にもどることがあるにしても、あなたたちは、あいかわらず貧乏でくらさなければならない。だから、豆の木のはしごをのぼったのが、とりもなおさず、幸運のはしごをのぼったわけなのだよ。」


と、こう妖女は、いいきかせて、ジャックにも、ジャックのおかあさんにもわかれて、かえって行きました。


底本:「世界おとぎ文庫(イギリス・フランス童話篇)妖女のおくりもの」小峰書店1950(昭和25)年5月1日発行

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妖女=西洋の民話に出てくる妖精が、この物語に出てきたとは記憶に
ありませんでした。

 
皆さんは、いかがですか?

 
「世界おとぎ文庫(イギリス・フランス童話篇)妖女のおくりもの」という本から色々な形にアレンジされたものと思われます。


>ちょうどそのとき、いつぞや、はじめてジャックにあって、道をおし
>えてくれた妖女が、こんどはまるでちがって、目のさめるように美しい
>女の人の姿になって、またそこへ出て来ました。

>きらびやかに品のいい貴婦人《きふじん》のような身なりをして、
>白い杖を手にもっていました。

>杖のあたまには、純金《じゅんきん》のくじゃくを、とまらせていました。


最初に登場した時この妖女は、おばあさんでした。白い杖と、純金の
孔雀(くじゃく)とは、空海展にあった、金色の孔雀明王像がイメージに出てきます。

 
1950(昭和25)年5月1日発行となっておりますが、5の数字に縁がある
ようです。

  
思いが叶い、富と知恵の宝庫である五次元の世界から三次元にもたらす事を暗示しているのかも知れません。

 
幸運のはしご」とは、豆のつるですから、右巻きのラセン状のはしごですね

 
右巻きのラセン状のはしごと言えば、遺伝子・DNAのラセン構造を
連想します。日本なら龍になります。天空を架ける「龍」は、五次元の幸運を、三次元に招いてくれる縁起の良い象徴です。

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金龍至福の名刺や、龍・竜の名刺、青龍や九頭龍の色紙など、『幸せの和』の中の龍・竜のパワーが、昨年から今年にかけて、多くの皆さんにも、数々の奇跡と、絶大なる貢献をしてくれました。

 
もちろんそれらの、パワーから与えられた奇跡の一つである、1000年の封印が解かれた奥義をイメージする時も、右巻きのラセン状にイメージすると、エネルギーが高まり、有り得ないシンクロや奇跡の現象を招きます。

 
五次元の世界から三次元に望ましき現象を招いているのです。



          • 奥義のイメージに関する投稿より -------


私の光の現れ方は、いつも頭上か眉間の目線辺りなので、正しいかは別としても、六徳⇒虚空⇒清浄⇒阿頼耶⇒阿摩羅⇒涅槃寂静と自分を一体化させるイメージとして、真上から見て、右回りの渦巻きが回転しながら丹田に下りる縮小のイメージが一番良いのではないかと考え、毎日イメージしていましたが、真上から見る事が案外難しくイメージの像が出来上がりませんでした。


15日に、妖精が水面を舞うように飛び跳ねているような…、とても心地良い音色(音霊)との出会いがありました。魂に深く浸透しました。


目を閉じると、その音霊が甦って来ます。


16日の明け方に瞑想をしていた時に、なかなかできなかったイメージ像が見えました。一瞬でしたが、とても感激しました。


六徳⇒虚空⇒清浄⇒阿頼耶⇒阿摩羅⇒涅槃寂静と、毎日イメージを続けていましたら、心がみるみる清浄されていくのが、解かりました。能望も凄いですが、この奥義は凄いと思いました。

 
この奥義をイメージしたことによる、奇跡のシンクロ現象が起きたのです。

 
ジャックと豆の木の、原作本は、「妖女のおくりもの」という題名です。

 
原作の物語では、その妖女には、ジャックが豆の木を登って、天空に
たどり着いたときに会うのですが、そのくだりを読んで下さい。


ジャックは、そのとき、まずそこらを見まわしました。すると、そこはふしぎな国で、青あおとしげった、しずかな森がありました。


うつくしい花のさいている草原もありました。水晶(すいしょう)のようにきれいな水のながれている川もありました。


こんなたかい空の上に、こんなきれいな国があろうとは、おもってもいませんでしたから、ジャックはあっけにとられて、ただきょとんとしていました。


いつのまにか、ふと、赤い角(かく)ずきんをかぶった、みょうな顔のおばあさんが、どこから出て来たか、ふと目の前にあらわれました。


ジャックは、ふしぎそうに、このみょうな顔をしたおばあさんをみつめました。おばあさんは、でも、やさしい声でいいました。


「そんなにびっくりしないでもいいのだよ。わたしはいったい、お前さんたち一家(いっか)のものを守ってあげている妖女(ようじょ)なのだけれど、この五、六年のあいだというものは、わるい魔(ま)もののために、魔法(まほう)でしばられていて、お前さんたちをたすけてあげることができなかったのさ。だが、こんどやっと魔法がとけたから、これからはおもいのままに、助(たす)けてあげられるだろうよ。」

 
だしぬけに、こんなことをいわれて、ジャックは、なおさらあっけに
とられてしまいました。そのぽかんとした顔を、妖女はおもしろそうにながめながら、そのわけをくわしく話しだしました。


それをかいつまんでいうと、まあこんなものでした。「ここからそうとおくはない所に、おそろしい鬼の大男が、すみかにしている、お城のような家がある。じつはその鬼が、むかし、そのお城に住んでいたお前のおとうさんをころして、城といっしょに、そのもっていたおたからのこらずとってしまったものだから、お前のうちは、すっかり貧乏(びんぼう)になってしまったのさ。


そうしてお前も、赤ちゃんのときから、かわいそうに、お前のおかあさんのふところにだかれたまま、下界(げかい)におちぶれて、なさけないくらしをするようになったのだよ。だから、もういちど、そのたからをとりかえして、わるいその鬼を、ひどいめにあわしてやるのが、お前のやくめなのだよ。」



 
私の知る限りでは、ジャックは、いくら鬼の家とは言え、不法家宅侵入で、泥棒の行為と、なるのですが・・・。この内容だと、ジャックは、「金の卵を生むにわとり」 「金貨・銀貨のふくろ」 「歌う竪琴」などを、大男から、取り返すことになります。

 
この内容は、誰もが知ってることなので、省略します。


ところで、塾生のイメージですが・・・、

 >15日に、妖精が水面を舞うように飛び跳ねているような…、
>とても心地良い音色(音霊)との出会いがありました。
>魂に深く浸透しました。

>目を閉じると、その音霊が甦って来ます。

>16日の明け方に瞑想をしていた時に、
>なかなかできなかったイメージ像が見えました。
>一瞬でしたが、とても感激しました。

 
と、次のくだりもシンクロしています。


>ジャックは、そのとき、まずそこらを見まわしました。すると、そこは
>ふしぎな国で、青あおとしげった、しずかな森がありました。

>うつくしい花のさいている草原もありました。水晶(すいしょう)のように
>きれいな水のながれている川もありました。

>こんなたかい空の上に、こんなきれいな国があろうとは、おもってもい
>ませんでしたから、ジャックはあっけにとられて、ただきょとんとしていました。

 
『六徳⇒虚空⇒清浄⇒阿頼耶⇒阿摩羅⇒涅槃寂静』の最後の涅槃寂静
とは、極楽浄土=天国のことです。
 
 
大きな「お城のような家」、「金の卵を生むにわとり」 「金貨・銀貨のふくろ」 「歌う竪琴」などは、無限の富の象徴です。

 
この奥義をイメージするだけで、無限の富が実現するというメッセージでもあります。

 
純金の孔雀(くじゃく)とは、孔雀明王のことで、一切の毒や、煩悩を取り除く意味あいから、清浄⇒阿頼耶の間には、煩悩のかたまりの潜在意識はなくこれを滅することが、成功へ導く!と、ここでも暗示してくれております。

 
清浄⇒阿頼耶の間にある、今までの記憶や煩悩が無限の富を実現する
邪魔をしておりますから、この点は、とても重要なのです。