人の意識で素粒子を操ること M224

人の意識で素粒子を操ること




阿頼耶(あらや)は、阿頼耶識となり、私達の心の中の総責任者と
なります。これが、インナーCEOになります。

 
末那識(まなしき)を助手として使い、すべてを統率しております。

 
フロイトは、当時の科学の優勢だった唯物論の立場から、この末那識
を「潜在意識」としてしまいました。

 
ユングは、集合無意識など、心の構造を、さらに深く考えていたので、この二人は意見の違いから、対立することになるのですが・・・。

 
後世の学者や、有識者は、フロイトの学説を優先し、おなじみのマーフィーも末那識(まなしき)=潜在意識と決め付けてしまったので、能力開発の経験者は
潜在意識を混乱して理解しているので、潜在意識に翻弄されて、成功できずにいるのです。


 
光りと光りをぶつけても素通りするだけですが、光りのエネルギーを
高めてぶつけ合うと、光のエネルギーが相対性理論の効果で物質に変わります。

 
光りは、波でもあり、光子という物質にもなる2つの性質を持っています。

 
観測者の意識で、光りは波にも、物質にもなる!と言われておりますから人の意識は、高いエネルギーとも言えるのです。

 
人の思いや意識であっても、微細なものにとっては、波のようなものを物質に変えるほど、強力に影響しているのです。

 
意識レベル=エネルギーレベルであり、高い意識レベルになると成功は当たり前になる!と言うのは、望ましき思いが物質化=現実化するからなのです。
 
 
素粒子などの微細な物質は、人の意識や思いで変化します。ですから、人の意識で素粒子を操ること=コントロールすることができるのです。

 
このことが、わかってきたのは量子力学素粒子論ができて、実験を
はじめるようになってからですから、本当に最近のことなのです。

   
素粒子⇒原子⇒分子⇒物質化(現実の現象)

 
この図式は、昔から、無意識に実践している人だけが、千に一つの疑いもなく信じて、思いのままの現実を招いている図式です。

 
素粒子は物質がそれ以上細分化されない究極の物質と定義されています。

 
私達の体も、物質も、山も、川も、地球も、太陽も、宇宙も、すべては、素粒子という根源の物質から成り立っているのです。
 
 
「素粒子は宇宙そのもの」

 
素粒子レベルでは、このような画像の展開が、私達の体の中でも行われているのです。

 
この画像は、渦巻き状になってはいませんが、実際はラセン状にスパイラル状に放射されていると思われます。

 
私達の体の中には、60兆の細胞があり、その細胞も、無数の原子と分子で成り立ち、さらにその原子も、細分化してゆけば素粒子や光りのエネルギーになるのです。

 
まだ、教科書には出てきませんが、素粒子のさらなる先には氣のエネルギーが、当たり前になる時代がきます。

 
私達の体は、エネルギーそのものであり、素粒子であり、光りのエネルギーでもあり、氣のエネルギーなのです。

 
六徳⇒虚空⇒清浄⇒阿頼耶⇒阿摩羅⇒涅槃寂静とイメージして、さらに、その反対から、涅槃寂静⇒阿摩羅⇒阿頼耶⇒清浄⇒虚空⇒六徳と
イメージして、「知恵の氣」⇒素粒子⇒遺伝子⇒神経細胞樹状突起シナプスドーパミンセロトニン)⇒望ましき自分の姿

 
このイメージで確実に頭の回転が良くなります。

 
意識のエネルギーによって、素粒子や遺伝子に働きかけ、さらに、
神経細胞シナプスを活性化させ、伝達物質であるドーパミンセロトニンの放出を促し、脳のメカニズムの効率を高める
 
 
多くの人は荒唐無稽な話しと一笑したことと思います。そんなことで、頭が良くなったら、苦労はいらないよ!と、誰もが思うのが当然です。

 
けれども、試しに、車に乗って、六徳⇒虚空⇒清浄⇒阿頼耶⇒阿摩羅⇒⇒涅槃寂静と、これだけでも、丹田に沈めてイメージして見てください。

 
私の場合は、8888とか7777とか、5555、1111などの車が頻繁に現れる
ようになります。

  
369(ミロク)という番号を連続して見たこともありますから、こんな
シンクロはあり得ませんから、これは、絶対に何かがある!と思ってしまいます。

 
車に乗る機会のない人にも、何らかの今までには有り得ないメッセージが、あると思います。

 
これらの、ミクロの言葉は、最深部は、五次元から来ています。

 
ミクロの物質に、何千億の何兆倍という計り知れないエネルギーを与え、それが三次元の宇宙の仕組みに共鳴しているようなのです。

 
最深部の最もレベルの高い「涅槃寂静」という言葉がありますが・・・。
 
 
「唯心の浄土」という言葉と同じ意味で、500年に一度の天才と言われた白隠禅師が、丹田の奥にある!と、唱えた言葉です。

 
白隠禅師も、「内観の四則」を唱えて、有り得ない数々の奇跡を起こしております。ですから、今の行き詰まっている世の中を想定して与えられたような気がしております。

 
言葉のエネルギーを測れる機械が出てきたら、数値でも明らかになり、人々の運命を変えるほどの影響を与えることがわかってきます。

  
六徳⇒虚空⇒清浄⇒阿頼耶⇒阿摩羅⇒涅槃寂静
 
 
これらの言葉は、エネルギーの非常に強い言葉です。

 
この命数の奥義について、説明している文章が、続・日月神示
ありました。



-----「続・日月神示より」-----

 
新たな創造の過程として生まれ変わった言葉は、言霊として鳴り響き、この宇宙に十満する。これが言霊の威力であるぞ。

 
一八十開きの鍵は一つ。己を無くす九十じゃ。己の牢獄にはまって
いるぞ。無いもの捕らえてどうする。

 
神は与え放し、通らぬは皆、己からぞ。何事も必然である。すべて必然、目の前に起きているもの全て必然であるぞ。

 
必然であると受け入れるしかないであろう。それを何故否定する。
目の前はそなた達が創り出した現象ではないか、それがなぜ分からん、いつも疑問を持つ、そして否定する。

             

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>一八十開きの鍵は一つ。己を無くす九十じゃ。己の牢獄にはまって
>いるぞ。無いもの捕らえてどうする。

 
「イワト開きの鍵は一つ。己を無くすことじゃ。無いもの捕らえてどうする。」
とは。

  
六徳⇒虚空⇒清浄⇒阿頼耶⇒阿摩羅⇒涅槃寂静の中で消えている末那識(まなしき)のことです。

 
◎己の牢獄にはまっている、末那識(まなしき)のことです。

 
生まれた時には、このエゴのかたまりの末那識(まなしき)はなかったのです。これからの地球の未来には、末那識(まなしき)は必要がないのです。

 
このことを、確認できただけでも、この奥義はすごいメッセージを与えてくれているのです。