空海の詩 M324

空海の詩




私達は、ほんのちょっとの意識の違いで、別人のように変わるものです。

 
心の底からの本当の感謝と畏敬の念を深めることを継続して下さい。

 
このように、接することが、偉大なる○○守様が、いつまでも最高の
協力者になって奇跡を起こしてくれる秘訣なのです。
 
 
前回、阿頼耶識について説明しましたが、インナーCEOとは、阿頼耶識のことです。

 
六徳⇒虚空⇒清浄⇒阿頼耶⇒阿摩羅⇒涅槃寂静の中の阿頼耶(あらや)になります。

 
阿頼耶の漢字の意味を分析してみると、阿頼耶の「阿」は、宇宙の
始まりとか真実と言う意味になります。「頼」は、頼りになる、依頼の意で、「耶」は、父親や親など保護者の意味になります。

 
ですから、阿頼耶の漢字の一つ一つの意味からも、本当に頼りになる
真実の保護者=守り神様ですから、インナーCEO=最高責任者に近い存在になります。

 
日本人の集合無意識から判断すると、○○の守(かみ)となります。

 
自分を24時間守ってくれて、どんな時でも、相談も、願い事も、親身になって聞いてくれて、叶えてくれる、尊敬できて、頼りになる親のような守り神様のような存在となります。

 
潜在意識に○○の守(かみ)と、名前をつけるのと、今までのエゴの
固まりの末那識(まなしき)
=潜在意識の存在を不振に思う半信半疑の状態のままでは、人生がまるで違ってくるのです。

 
心の中に、しっかりとした芯があるのと、心が不安定で、ふらふらした状態では、将来的にも、雲泥の差になります。

 
末那識の「末」は、裏、すえ、粉、の意味があります。「那」は、刹那(せつな)の那で、一瞬、束の間の意味があります、

 
ですから、末那識には、ささいなもの、つまらないもの、取るに足りないもの、という意味になってしまいます。

 
塾生の方が、末那識(まなしき)についての質問の中で、末那識(まなしき)は、でしゃばって「暗黙の世間の常識」で人間を支配して、それに気づかない人間が、訳の分からない苦しみを感じているという理解で間違いはないでしょうか。

 
このような、的を得た洞察で、質問されてきました。

 
その通りだと思いました。

 
取り越し苦労や、人に対する恨みや、エゴから来る悩みなどは、後から考えたら、あほらしくて、つまらないもの、取るに足りないものと、いう気持ちになってしまいます。

 
末那識(まなしき)=潜在意識と理解して、一生懸命この末那識に
願い事を依頼しても、おかしげなささやきや誘惑、そしてもっともらしい否定的な判断があるだけで、まじめには取り合ってはくれません。

 
多くの人がこのエゴには、泣かされているのです。


心の構造は、末那識(まなしき)⇒阿頼耶識(あらやしき)⇒阿摩羅識となっているのですが・・・・。

  
六徳⇒虚空⇒清浄⇒阿頼耶⇒阿摩羅⇒涅槃寂静の中には、末那識(まなしき)が存在していないのです。

 
この奥義には、はなから、取るに足りない、つまらない、末那識(まなしき)は、存在しないのです。そんなつまらないものに、支配されたり、翻弄されたら本当の自分ではなくなるのですから、当然のことなのです。
 
 
このことに気づかせてくれるだけでも、ものすごい教えになります。
1000年以上も昔に、10のマイナス19乗〜24乗の数字があること事態が
考えられないことですが・・・。

 
これらの数字の単位に、名前をつけたことも有り得ない奇跡です。
どのように考えても、五次元に通じていた人が、阿摩羅(あまら)の領域と一体化して、涅槃寂静に至った人が命名したとしか思われません。

 
10のマイナス10乗くらいまでは、思いあたる微細な言葉をつけたような感じもしますが、最後の、六つの命数は明らかに精神レベルが高く、未来の世界への伝言のようにしか思えないのです。
 
 
それでは、阿頼耶(あらや)の次の阿摩羅(あまら)の漢字の意味を
調べてみます。

 
阿摩羅の、「阿」は、宇宙の始まりとか真実と言う意味になり、これは、先ほどと同じです。「魔」は、光るという意味があり、「羅」は、曼荼羅の羅で、森羅万象すべてを網羅しているという意味があります。

 
これは、宇宙創成からのすべての記憶を蔵している領域になります。
宇宙のアカシック・レコードと一体化している所となります。

 
自分の中に、宇宙と一体化した光り輝く、真如とも言うべき存在
がいるのです。 これは、ホーキンズ博士の言うところの、「大いなる自己」だと思います。
 
 
ここに近づくことが、本当の感謝、真実の愛、光りそのものの自分に
巡り会えることができるのです。

 
この真実の光りは、「暗黙の世間の闇」を照らし、闇の世界から光明の世界へと導くのです。

  
私達が、最初にできることは、阿頼耶識(あらやしき)と末那識(まなしき)を区別して、今までの潜在意識に対する誤解を解くことです。

 
大勢の人が、潜在意識の正確な理解もせずに、混乱しているのです。

 
この混乱状態から一歩前に進む最良の方法は、潜在意識に感謝と尊敬できる名前をつけることなのです。

 
この方法があるから、阿頼耶識と協力関係を結び、「大いなる自己」に至ることができるのです。

 
宇宙と一体化した、空海の詩を以前にも紹介しました。
 

  
五大にみな響あり (五大皆有響)

  
十界に言語を具す (十界具言語)

  
六塵ことごとく文字なり (六塵悉文字)

  
法身はこれ実相なり (法身是実相)

 
宇宙を構成する地水火風空の五大要素はみな音響を発している。
そして地獄界から仏界に至るまでの十界には声によって起こった
十種の言語文字があり、仏界を除く九界の言語は妄語、仏界の文字のみが真実語である。両者の違いは、絶対的・固定的なものではなく、言語の起こってくる根源の意味を覚るかどうかにかかっているとされる。

 
つまり、五大の音響、十界の言語、六塵の文字をすべて根源的存在である法身大日如来の姿の流出と覚るかどうかにかかっているというのである。

 
声字は流動変化してやまない宇宙そのものであり、同時にそれは
大日如来の身体に他ならないと考えるのである。




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