「合掌」 M884
合掌
「合掌」は、本来は次元を超越するための手段だった?
スパイラルの降龍⇒昇竜を手を回しながら実践していると、
仏教やインド人が挨拶として行っている「合掌」の本来の意味が、
漠然とひらめいてきました。
仏教での合掌は、合掌ではじまり、合掌で終わる!というように、
お坊さんの毎日の生活に密着しておりますが、お釈迦様は手を
合わす本当の意味を知っていたはずです。
私が死んだ後も、手を合わせて熱心に拝んでください!と、お釈迦
様が言ったかどうか、「?」ですが、言ったとすれば、お釈迦様のためではなく、一人一人の弟子達のためを思って言ったのです。
一人一人の弟子達が思い通りの幸せな人生を送れる様に、
合掌を奨励したような気がします。
これは、あくまでも私の考えですので、参考までに読んでください。
私達、日本人も、最近見かけなくなりましたが、ご飯を食べる前
には手を合わせて、「いただきます」を、しました。
初日の出や、初詣、神社や寺に行けば、自然と手を合わせます。
さらに、私達は、一大事になると、無意識に手を合わせて、神様や
仏様にお願いをします。
現代では、いくら手を合わせて、神頼みをしても、気休めにしか
ならない!と、多くの人が思っていますが、普段冷静な人でも、
いざとなると、神仏に手を合わせます。
キリスト教でも指を組んで、手を合わせてお祈りをしますから、
手を合わせることは、世界共通のだと思います。
合掌には、目の高さのところまで持ってゆく作法と、鳩尾(みぞおち)のところで手を合わせる作法など、宗派の違いで何種類かあるようです。
神社の拍手(かしわで)も合掌の一種だと思います。
合掌を、氣のエネルギーの観点から分析すれば、目の高さでの
合掌も、鳩尾(みぞおち)のところでの合掌も、拍手(かしわで)も
チャクラの位置と一致しています。
本場の少林寺拳法では氣の力を高めるために合掌をするそうです。
表面的な合掌ではなく、顔の前できちんと指と指、掌と掌を合わせて、深呼吸をして、氣をため、氣を充実させるそうです。
これらの合掌の姿勢は、どれも、3、4、5、6のオーラに触れて、回転
しているオーラに影響を与えます。
そして、意識と氣のエネルギーを一つにまとめ、次元を超越する
ほどのエネルギーレベルにまで高まります。
この時は、真剣な意識が大切になります。
ヨガから派生した仏教は本来、能力開発が目的だったと思われます。
仏像の光背や頭の上にある丸いエネルギーの輪を見ても明らかで、
後世の宗教家は、もっと氣のエネルギーについて深く追求して、普及しなかったことが、残念なことです。
エネルギーを高める観点から仏教をとらえれば、どれだけ、多くの人に役立ったことか、計り知れません。
私は、空海も白隠禅師も、彼らの書いた墨の「書」からエネルギーを
感じて、彼らを知ることができました。
氣のエネルギーは何百年たっても変わりませんから、次元を
超越しているのです。
氣のエネルギーを高めることは、権利者にとっては都合の悪いこと
だったので、仏教もその表面的な思想だけが普及したのでしょう。
降龍⇒昇竜の後で、真剣に合掌すると、さらにパワーアップした
エネルギーが湧いてきます。
スパイラルの実践のあとで、両手を合わせることで、不思議と、心は安らぎます。これは、初心者でもすぐに感じることだと思います。
合掌することにより、謙虚さと感謝の心に包まれて、理屈ではない
世界があらわれます。手の不自由な人は、自分が合掌している姿を
イメージしてもOKです。
ありのままを受け容れることができる、そんな心境にもなります。
この心境は、明らかに理屈の世界=三次元の世界を超越した世界から
の贈り物のようにも思います。
意識と氣のエネルギーを一致させるとは、簡単なことだったのです。
氣のエネルギーを高め、意識との同調でパワーアップを図り、
五次元の世界への橋渡しができれば 、望ましい現実が実現するの
ですから、お釈迦様もこのことを当然知っていたのです。