無一物中無尽蔵 M294

無一物中無尽蔵


 
禅語には「無一物中無尽蔵」という言葉があります。

 
スパイラルの六徳から涅槃寂静まで、降りて行くと、「無一物中無尽蔵」の言葉が浮かんできました。

 
そして、この言葉を調べていると、元ヤオハンの社長の和田一夫さんの言葉がありました。

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私は人生において3度の失敗をした。一度目は熱海の大火。
二度目はブラジルヤオハンの撤退。そして、三度目はヤオハンジャパンの倒産であった。失敗をおかした時、人間はそこから必ず得る物がある。私は栄光と挫折の中で一つの答えを得たのである。

  無一物中無尽蔵


一度目の失敗の時、私の母が教えてくれた言葉である。この言葉は、数々の成功と失敗により私のものとなった。


全ては自分の中にある。


私が50年間にて学んだことを多くの企業家のために伝えたい。
そして今カンパニードクターとして再起を誓った。


夢は必ず実現する。私はこの言葉と共に生き、そして実現するために、進み続けた。

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>一度目の失敗の時、私の母が教えてくれた言葉である。

 
この元ヤオハンの社長の和田一夫さんの母とは、NHKのドラマに
なった「おしん」のことです。


>全ては自分の中にある。とは、真実味があります。

 
無心であればこそ全てがよく見え、無限な展開があるという意味
なのでしょうか?

 
私の場合は、ニュアンスが少し違っていました。

 
臍下丹田の奥に、六徳⇒虚空⇒清浄⇒阿頼耶⇒阿摩羅⇒涅槃寂静と沈めていると、清浄⇒阿頼耶の中間点がカオスの縁になり、Uの字の底でもありますから、(Edge of U)の「場」になります。

 
この中間点が、この世と、見えない世界の境目で「無一物中無尽蔵」の点ではないか?と思えてきました。

 
虚空から、清浄になり、次元を超越した、⇒阿頼耶の世界に入る
入り口が、「無一物中無尽蔵」の点で、⇒阿摩羅の入り口も、
涅槃寂静の入り口にも、無尽蔵がどんどん広がって行くように思えるのです。

 
地上の世界と、天上の世界とでも言うのでしょうか。その境目に、
「無一物中無尽蔵」の点があるのですから、この点で、地上の世界と、天上の世界がつながっているのです。
 
 
禅では、心を無にすれば、無心になれば、無尽蔵の世界が展開される!となるのですが・・・、ミクロの命数が小さくなればなるほど、無尽蔵という概念になります。

 
地上の世界にも、天上の世界にも、無尽蔵のエネルギーが流れて
います。この無尽蔵のエネルギーから、色々なものが現実化されるの
です。

 
ただし、地上の世界では、ネガティブな波動が充満しておりますから、無尽蔵のエネルギーに周波数を合わすことが難しいのです。

 
地上の世界での時間の流れは、過去→現在→未来と流れていて、
天上の世界では、過去・現在・未来が一緒になっています。


つまり、現在しかないのです。

 
ところで、天上の世界には、意識のエネルギーしか入ることはできません。

 
ですから、意識のエネルギーを高めて、天上の世界に入ったら、
過去の思いを修復し、未来に起こる望ましき事を現在起きているかのようにありありと思い描くのです。

 
そして、感謝の気持ちを深めることが大切です。天上の世界では、思ったことが必ず叶うのですから、感謝は当然なのです。

 
疑いや否定は禁物です。1000に1つの疑いがあれば、地上の世界にその
まま反映しますので、望ましきことが起こりません。
 
 
降龍⇔昇龍の往復で、 阿頼耶の世界⇒阿摩羅の世界⇒涅槃寂静
世界に入り、ここは、天上の世界ですから、現在しかないのですから、地上の世界で、未来に起こる望ましき事を、現在起きているかのようにありありと思い描くのです。

 
現在進行形で、望ましきことが起こっているのです。望ましきことが、目の前で起こっているのですから、活き活きと輝き、心はワクワク感に包まれて、幸せそのもの、喜びと感謝の気持ちでいっぱいになります。このことが非常に大切なのです。

 
降龍⇔昇龍の往復だけで、至福感に包まれる!と、たくさんの人から
体験談を頂きましたが、涅槃寂静の世界からのメッセージだったのかも知れません。

 
忙しい人は、涅槃寂静の世界だけのイメージでもOKです。
 
 
この結果、地上の世界の現在に、望ましき事が次々に起こってくるの
です。
 

インナーCEO=○○の守様との会話ができればいいですね。


吾を忘れて、夢中になる時は、「無一物中無尽蔵」の分岐点に至り、○○の守様との会話をしているかも知れません。