「魂」 M315

「魂」


              • 感謝の体験談より--------


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昨日、幸せの和、スパイラルシートが届きました。

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このところ、眠れなかったので、ヒマラヤランプを2つつけてようやく眠れるようになったものの体の疲れはとれず、バナジウムを飲んだりいろいろしていましたが、以前は効果的だったものも効果なく・・


そこで、幸せの和を枕元と足元に敷いて寝たら今朝は朝5時半にぱっちり目が覚め疲労感もなく、とっても爽やかです。朝から鼻歌もでてしまう。


ヒーリングや整体を生業にしているので癌や生活習慣病の人の体を触ってぐったりしていましたので助かりました。


スパイラルシートのほうはまだ実感なく。今朝早起きできたので早速やってみたのですが。ちょっと練習が必要なのか、イメージがうまくできませんので。今後を楽しみにしたいと思います。


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                                                  • -


天とは自分の「魂」や「霊魂」なのかも知れません。

 
この「魂」の存在をあまりにも軽視して来たから色々な問題が
生じているように思います。 

 
京都大学カール・ベッカー教授は、現在の日本に対し以下の
ような幸辣なコメントをしている。

 
「日本は不思議な国です。明治以前には『霊』の存在を当然の
こととしてきたのに、今では過去の欧米に追従して、この種の
現象を真面目に考えようとしない風潮が、特に科学者のあいだに
強くあります。欧米諸国はこの方面で、ある意昧ではむしろ昔の日本に近づきつつあるのに、逆に日本が、過去の欧米の水準から一歩も進もうとしないのは、まことに皮肉というほかありません」

 
さらに、「魂」について、次のように書かれています。

 
日本人はこれを昔から知っていた。ただ戦時中、人を殺す恐怖を
取り除く為に魂という概念が歪曲されて利用されたものですから、
戦後は一切、魂云々の話は教育現場などでは出来ないことになり
ました。

 
でも、魂が無ければ人間には何があるのか、我々は単なるロボット
なのか、動物なのか、ゴキブリ同然のものなのか。

 
魂があってこそ色んな試練を越えて、ひょっとしたら死をも超えて、
初めて生きる意義があるのではないか。

 
それを否定していたのでは、どんな哲学も宗教も、生き方も成り
立ちません。

 
魂は感じるものであり、目に見えないエネルギーなので、色んな
人に色んな感じ方があって「俺はこう思う」「私はこう思う」という衝突もあり得ます。


だから非常に謙虚に注意深く研究しなくてはいけない領域なのですが、まるごと否定することはおかしい。


5万年前のネアンデルタール人から現在に至るまで、「人間が死んだら何も残らない」と信じた人類はいなかった。


そのような文明はないのです。日本は、世界で初めて「死んだら
何も無い」と信じようとしている文明かも知れませんが、やっぱり、
自分が寝たきりになって、どうなるのかと思う番になった時、何も無いと最後まで信じられる人はそう多くはないのではないでしょうか。


それに対して、死者を厳重に畏れ敬う慣習は、日本にはずっと
以前からあるのです。

 
来世の可能性を認めることには、色んなメリットがあります。
死が全ての終わりではなく好きな人との再会なら、不安はあっても
恐怖は無いので、さきほどお話ししたように、死に対する恐怖や
孤独感を治癒できます。

 
辞書で「気」をしらべたら、その意味は、精神・心・意識・霊魂などとなっていますから、気=霊魂であり、魂(たましい)のことでありますから、魂(たましい)も氣のエネルギーも、戦後は一切、教育現場などでは教えることが、出来ないことになり、特に科学者のあいだに、真面目に考えようとしない風潮が強くあるのです。と、外国人である京都大学カール・ベッカー教授に指摘されているのです。

 
子供達には、魂の存在を教育して、素晴らしい本当の自分の存在
があることをわかってもらいたいものです。

 
魂の存在を知ることにより、他人を尊び、謙虚な自尊心も持つように
なり、誇り高き人間が増えると思います。

 
いじめの問題や、非行、甘えや自立の問題など解消できます。

 
今は、政治家も、役人も、魂のかけらもなく、誇りもない偽のリーダが国民の舵を取っているのですから、恥ずかしい限りです。

  
魂に氣のエネルギーが充実していないために、色々な問題が起こり、多くの現代人が悩み苦しんでいる元凶に思えるのです。