サンスクリット語で「車輪」 M615

サンスクリット語で「車輪」



自分の目の前で、手をいっぱいに伸ばした空間には、オーラの層が
あります。

 
現代人で、体の周りのすぐ目の前にある空間に、もやもやとした
温感のあるエネルギーの層があることに気づいている人はどのくらいの割合でおられるでしょうか?

 
仏像には光背がありますが、背中にあるエネルギーの層が、前にも
あるのです。

 
頭の上には、輪がありますが、体の周りにもエネルギーの層がぐるりと取り巻いているのです。

 
昔の人は見えていたのです。現代の人でも氣感があれば、何層もの
エネルギーの層を感じることができます。

 
このエネルギーの層=オーラは、7つのチャクラと結びついています。

 
チャクラはサンスクリット語で『車輪』という意味です。

 
体内のエネルギーのポイントがプロペラのような形をしており、それ
ぞれが回転しながらエネルギーのやり取りをしているのでそのように
呼ばれているようです。

 
背骨にそって七つ並んでいるのが主要な七大チャクラです。それらはホルモン分泌腺に沿って位置しています。そして、それぞれが重要な役割を持っています。

 
チャクラは呼吸からも、我々の身体の周囲からもエネルギーを
取り入れ、我々の身体とオーラを再び活性化させるためスピン(回転)しながらエネルギーを送り出しています。

 
チャクラは体全体で356あるようです。これは東洋医学で言われる
「つぼ」の数と同じです。

 
「・・・・五の年は子の年ざぞよ」というのも、喉からの第五チャクラに対応しているオーラーが鍵になる!という暗示のようにも思われます。

 
第五チャクラに連動している青色のオーラは、伝達力・表現力・インスピレーションが高まり、「お金」持ちになるオーラということですから・・・。

 
降龍と昇龍で、第五チャクラの回転を高めて、オーラにパワーを送ることができます。

 
すごいことに気づかせていただきました。オーラの修復はチャクラに
エネルギーをあたえることにもなる!とは感じていましたが・・・。

 
降龍と昇龍の動作が、チャクラの回転のエネルギーを高めて、その回転のエネルギーが、さらに、オーラのパワーアップを促しているとは・・・、これはダブルの相乗効果です。

 
成功塾の塾生の方が、夢の中で、降龍の命数を実践しながら、渦巻状の光が時計回りに猛スピードで回転している!という鮮明な夢を見た体験を投稿してくれたので、このことに気づかされたのです。

 
このダブルの相乗効果ですから、風邪でも何でも一瞬に治るはずです。

  
「一二三・三四五・五六七ぞ。五の年は子の年ざぞよ」(日月神示・日の出の巻き第二帖)

 
これは、エネルギーの観点から見れば、すごい教えになります。

 
一二三四五六七のすべてのチャクラに、それぞれ、様々な効能が
あります。人間が叶えたいすべての願望が、一二三四五六七の
チャクラにあると言っても過言ではありません。

 
スパイラルの実践で、すべてのチャクラにエネルギーを与えることができるのですから、ものすごい展開になりました。ヨガの修行や願望達成法に革命が起きます。

スパイラルシート.jpg

 
手を頭の上方向に垂直に伸ばした先には、第七チャクラのオーラが
あります。

 
斜めに伸ばせば、第六チャクラのオーラがあります。そして、ぐるりと一回転すれば、一二三四五六七のすべてのオーラに触れるのです。

 
これは。まるで子の年の守り本尊である千手観音様の千本の手では
ありませんか。

 
その中には合掌も、丹田のところで両手を組んで宝珠を持っている
形もありますから、何から何まで合点が行きます。

 
自分の目の前に、しかも、30cm〜50cmの目と鼻の先ほどの手を伸ばせば届く空間に、「偉大な宝物」が眠っているのです。

 
運命の扉を開くほどの、「至高の宝物」が眠っているのですから、
これにはまだ、一部の有能なヒーラーか、気功師だけしか気づいて
いないと思います。

 
彼らが気づいていたとしても、一般の人が、自らのチャクラに
エネルギーを送れる具体的な方法など、思いもよらないでしょう。

 
「三四五」・「五六七」の共通部分にあたる「五の年」が「子の年」にあたること、そして、それが2008年の子年をさしている可能性は、世界に現れている様々な出来事から鑑みても、現時点では極めて高いと言わざるを得ない。

 
「五の年」が「子の年」だとすれば、「三四五の仕組」は、2006年から2008年、「五六七の仕組」は、2008年から2010年ということになる。
 
 
大難がどこまで小難になるか、あるいは、大難が大難のまま、地球人類にふりかかってくるのか、その流れが決まるのが、「三四五の仕組」の只中にある現在なのである。

 
今まで見えていなかったものがだんだん見えてきます。