三蔵法師 M65

三蔵法師



三蔵法師のお話し------------------------

 
三蔵法師というと、孫悟空の「西遊記」がイメージされます。孫悟空猪八戒沙悟浄を供に、さまざまの苦難にであいながら天竺(インド)へ行って仏典を持って帰る話ですから、誰もが一度は、聞いたことがあり、テレビなどでも見たことがあると思います。

 
色白で美男子で秀才、そして、宇宙飛行士よりも頑健な体のたくましい青年だったと思われます。三蔵法師の三蔵とは、仏教の聖典である経蔵(釈尊の教えである経を集めたもの)、律蔵(仏教徒が守るべき戒律を集めたもの)、論蔵(経を注釈したもの)です。

 
この三蔵に精通しているすぐれた僧を三蔵法師と言います。蔵法師は、中国には、何人もいるのですが、一般に三蔵法師といえば玄奘三蔵を指すように、玄奘三蔵は中国仏教の歴史の中で、もっとも有名な僧であり、偉大な功績を残した僧です。

 
この玄奘三蔵が、私にコンタクトをとっている「塵沙大王」=「深沙大将」に、大いに関連があるのです。玄奘三蔵が翻訳した「般若心経」の基となった『大般若経』の守り神が「塵沙大王」=「深沙大将」ですから、密接な関連があることになります。

 
玄奘三蔵が、国の法律を犯してまでも、命がけで、学びたかった唯識論が、ミクロの命数にも関連しているのです。


玄奘三蔵について------------------------

 
玄奘三蔵(602〜664年)は、13歳の時に、中国で、僧になるのですが、彼は、深く追求するタイプで、修行が深まるにつれて教えに疑念を持ち、中国各地の高僧に教えを求めて、訪ねて行きました。各地の高僧や名僧も彼の疑問には答えられず、中国にある漢訳経典に答えを求めるのですが、彼の疑問を解くことができなかったのです。

 
このうえは、天竺(インド)に行って、教義の原典に接し、本場インドの高僧に直接に教えてもらうしか途はないと思ったのです。当時、唐の国は鎖国政策をとっており、国の出入りを禁止していました。玄奘三蔵は、なんども嘆願書を出して出国の許可を求めるのですが、
許可されなかったのです。

 
玄奘は決心して、貞観3年(629年)27歳のとき、国禁を犯して密出国するのです。玄奘三蔵は、真理を求めて、インドへの命がけの旅を決行したのです。一番肝心な心の働きを、解明できれば、多くの人が、幸せになれるだろう!と、多くの人の幸せを思って、決行したのです。

 
どうしても、仏教の真理を知りたい!という衝動にかられたら、たとえ命がなくなっても!という使命感に燃えていたのです。このあたりは、空海に似ているところがあります。世のため人のため、という思いの志(こころざし)と、野望とは違います。野望は私利私欲で直ぐに「くじけ」ますが、志(こころざし)は、使命感に燃えていますので、何があっても、くじけません。皆さんも、お子さんや、後輩にも、野心や、野望ではなく、志(こころざし)を持つように、仕向けてください。


この旅は、物語よりも苛酷でした。長安を出発のときには40人の
同行者がいましたが、途中の盗賊・猛獣・山崩れ・急流などで死者が
続出し、2年後には玄奘ただ1人という非常に苛酷な旅だったのです。草木一本もなく、水もない灼熱のゴビ砂漠に、砂嵐が吹きつける
タクラマカン砂漠、雪と氷にとざされた厳寒の天山山脈を超え、
パミール高原カラコルム峠を越え、インドの仏教大学ナーランダへ。

 
通過した国が、128か国、頻繁に盗賊に襲われる苛酷な道のりの
旅は、往復で、3万キロに及んでいました。砂漠の民は、苛酷な自然の中で、自分の命を守るために、盗賊になるのは当たり前のことだったのです。この苛酷な砂漠で、7000人もの盗賊の親玉が「塵沙大王」だったのです。

 
胸にぶら下げている六つの骸骨は、すべて、玄奘三蔵の前世の骸骨だったのです。6人とも、「塵沙大王」が食べて、7人目に、現れたのが、今までよりもいっそう、使命感に燃えている玄奘三蔵だったのです。この命がけの玄奘三蔵のインド・西域への旅の目的は、 唯識論の奥義を極めることでした。

 
唯識とは、心の構造のことです。ミクロの命数の説明で、何度も説明した、末那識、阿頼耶識(あらや)・阿摩羅識(あまら)のことです。

 
玄奘三蔵が、命がけで、追い求めた唯識論の奥義は、阿頼耶識
(あらやしき)、末那識(まなしき)という深層意識を心の奥にあるということを認めているところにあります。その阿頼耶識を根本識[こんぽんじき]とし、一切法阿頼耶識に蔵する種子[しゅうじ]より転変せらる(唯識所変[ゆいしきしょへん])としています。

 
つまり私達の認めている世界は総て自分が作り出したものであると
いうことで、十人の人間がいれば十の世界がある(人人唯識[にんにんゆいしき])というようなことを、インドの仏教大学ナーランダに5年間学びこの奥義を極めたのです。

 
17年の旅を終え唐に帰国したのが、645年のことですから、日本では
大化の改新にあたります。こんな、大昔に、『引き寄せの法則』があったのですから、この時代からさかのぼること1000年も昔に、お釈迦様が、このような心の働きを把握していたのですから、驚きます。