ユング「個性化とマンダラ」 M495

ユング「個性化とマンダラ」



ユングの一連の業績や、マンダラの研究も、白ひげの賢老人(オールドワイズマン)=フィレモンからの啓示やアドバイスであったことと思われます。



「マンダラは・・・方向喪失・パニック・混乱した心の状態・の後すぐによく現れる。つまり、マンダラは混乱を秩序へと移すという目的を持っているのである。ただしこの意図は患者には意識されていない。いずれにせよそれは秩序・平衡・全体性を表現している。したがって患者はよくこの種の絵を描くと気持ちが良くなって気が静まると強調する。(ユング「個性化とマンダラ」林道義みすず書房

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これは、 能望の実践で、マンダラ=『幸せの和』が与えられ、多くの人が『幸せの和』を見るだけでも、嬉しくなって、気が静まり、癒される!現象と共通しています。病気の癒しも、願望達成も、望ましいことの現実化へ至る心のメカニズムは、同じ仕組みになっています。

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癒しの方法論がそのまま願望を達成する方法論になっていて、それは、すべてが意識を高める原理!に至るのです。ユングは、「パワーかフォースか」の本の、人間のあらゆる営みの、どの分野にも頻繁に取り上げられて おりますので私は、ユングの業績から、彼の生きた時代も、現代の科学者も含めて、アカシック・レコードの概念を誰よりも理解し、最も活用できた科学者だった!と、思っております。

 
空海も、ホーキンズ博士も、ユングも、アプローチは違っていても
同じことを追求していたのです。ユングが東洋のマンダラに至った奇跡は、シンクロというよりも、僥倖(ぎょうこう=偶然に得る幸運な巡り会い)とでも言うべきで、まさしく、天から与えられたものだと思われます。マンダラは、次元を超越しているものなので、現代でも科学の理論で追求できるレベルのものではありません。

 
ユングは、自分の所に来た患者(クライアント)たちが、不思議に
共通したマンダラ的な絵を描くことに「気づい」たのですから、この
「大いなる気づき」こそが、賢老人(オールドワイズマン)が、彼の
「気づき」の後押しをしたことになります。

 
人間は常に迷ったり、判断したりということを繰り返しています。
迷うこと、判断することは、表の意識が自分自身を守るために、
これでいいのかどうか、ということを常に考えているから迷うのです。これは科学的かどうか?自分にとって得をするものなのか?
今の社会の仕組みの中で自分自身が安全で有利になるためにはどしたらいいのか?と、このような判断をしているのです。

 
そういう時はいつも、表の意識=顕在意識がコントロールしているのです。ユングの時代も想像できますが、他の科学者は、マンダラなんて、精神の病気になっている患者さんの分析なんて、何の得にもなら
ないし、学界でも認めるはずがない!第一、非科学的ではないか!!と、普通の科学者は、表の意識=顕在意識のコントロールに従っていたのです。

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私の場合も、そんなもの売れないよ!時間の無駄だよという多くの人の常識の声に従っていれば、『幸せの和』は、
世の中には、ないことになります。『幸せの和』が与えられた時、『幸せの和』から出る波動には、この次元でなはく、高次元からの波動を感じました。そして、一人でも多くの人に幸せになってもらいたい!という思いで、『幸せの和』という名前にしました

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傍から見たら、気違い沙汰でしたが、多くの人に購入して頂き、
あり得ない奇跡の体験を、それこそ、数え切れないほど頂きました。
今考えると、高次元の波動とは、心の奥の深いところまで届く波動だったのです。皆さんが本来持っている心の奥の本当のパワーを引き出して、奇跡が起きていたのです。

 
その後も、『幸せの和』が母体となって、お客さんの要望により、
様々な高波動の商品が生まれたのです。『幸せの和』は、まさしく、マンダラでありマトリックスなのです。ユングは、顕在意識からはヒラメキや直感は生まれない!ことをわかっていました。フロイトが提唱している潜在意識よりもさらに深い意識を考えていました。

 
フロイトが提唱している潜在意識は、末那識で、ユングはさらに深い、阿頼耶識や阿摩羅識を考えたから決別したのです。白ひげの賢老人=「フィレモン」は、阿頼耶識のことで、インナーCEOになると思います。阿摩羅識が、人類の集合無意識であり、「統一場」であり、 アカシック・レコードだと思われます。

 
涅槃寂静も、同じように考えられますが、涅槃寂静はさらなる高次元の至高の境地のような気がします。阿頼耶識⇒阿摩羅識⇒涅槃寂静と、意識をするだけでも、意識が高まり、嬉しくなり気持ちが良くなりますから、これらは東洋の叡智になります。ユングは晩年、共時性シンクロニシティー)の概念を提唱しましたが、マンダラや、フロイトが提唱している潜在意識の末那識よりも、さらに深い、深層意識を考えていたからこそ、共時性シンクロニシティー)が頻繁に起こり、この概念に至ったのだと思います。

  
共時性シンクロニシティー)の集積が奇跡になり、願望の達成!
と、なるのですから、大いに意識を同調させて下さい。幸運にも、願望の達成の奇跡を、夢の現実化の奇跡の方法論を、願望成就のパワーを、ユングが教えてくれているのです。



ユングは想像を絶するほどに多くの幻想とイメージと夢を見ています。そして無意識の対決で現れたひとつの像と生涯をともに過ごしたそうです。聖書に登場するエリヤはユングの前に賢く年老いた予言者として現れました。


そしてエリヤから発展した像がフィレモンです。ユングによればフィレモンは異教徒で、エジプトのヘレニズム的な雰囲気を持っていたようです。フィレモンはユングに属さない一つの力として空想に登場し、またユングと会話をしていたようです。


心理的に表すと、フィレモンは導師であり、霊的グルーであり、神秘的な像であり、高い洞察を表すものでした。またフィレモンは翼のある霊であるのに片足が不自由でした。ユングにとってフィレモンは「アニムス」と呼ばれる元型に属する存在でした。フィレモンはユングの心的側面であると同時に、フィレモン自身の生命の側面がユングであるという認識を持っていたようです。