筋ジストロフィー M167

筋ジストロフィー



ここのところ、筋ジストロフィー関連の相談が続いていました。この難病のことをよく知り、受け入れ、浄化を促すため、この病気の実態を調べていたら、この難病に罹って、手足が動かず、身動きもできない状態なのに、介護関連の会社を立派に経営されている社長さんの講演のHPに目がとまりました。

 
この社長さんの講演のタイトルは、「“五体不満足”でも社長はできる。日本一多忙な車椅子社長の挑戦」というタイトルなのですが、自分がもしも、手足の自由がなくなり、歩くことも、自分で食事をすることも、書くこともできなく、車椅子の生活になり足や手を使うすべてのことができなくなったら!

 
人間の尊厳の力、素晴らしさ、偉大さ、魂が揺さぶられるほどの畏敬の念と深い感謝の念が湧いてきたのです。それと同時に、私は、五体満足なのに、一体、何をしているのか?この社長さんに比べて未熟な自分に、まだまだ、人間が持っている本当の力を発揮していないことを、思い知らされました。

 
世の中には、偉大な人がいるものです。この世に生まれてきた以上、自分の可能性を死ぬまで追求しなければ!という教えを与えて頂きました。最近、筋ジストロフィー関連の相談がシンクロのように頂いて
いたのは、この気づきを得るためのようにも思えてきました。

 
この社長さんは現在50歳を過ぎているのですが、20代の時に、この難病を宣告されて、手も足も体の自由がほとんど利かなくなったにも関わらず、新しい分野で会社を設立し、しかも、繁栄させて、第一線で活躍されているのですから、素晴らしい限りです。人間が持っている本当の力、誰もが持っている根源のパワーのすごさを、この方は身を持って教えてくれています。

 
この偉大な人物をお手本にして、私達は一回りも、二回りも、意識レベルを高めなければならないことを痛感させられました。私達は自分の可能性を自分自信で封印しているのです。

 
「まだまだ私達には本当の生命力というものが使われずに残っていると、自分の体験から、人間は昔の漁師の言葉で言う板子一枚、下は地獄という、この本当に板子一枚のありがたさ、生かされているというありがたさを本当に体で感じたとき、実は人間は、日本人はもっともっと強くなるんだと僕は改めて確信をしました。」と、この方は、私達が本当の生命力を十分に使っていないことを、そして、そのためには感謝の大切さも、教えてくれています。

 
絶望的な難病に罹っても、生かされているという、心より深い感謝を常に持つことによって、本当の生命力に至るのです。私達は、この難病に罹り、手足が動かず身動きも満足にでいない人のことを考えたら、どれだけ恵まれているのか計り知れません。

 
私達のエゴからくる悩みや恨みや憂いは、ちっぽけなもので、取るに足りないものです。いつでも自由に動けて、行動の制約もないのですから、やる気になれば何でもできるのです。ビジネスも、受験も、人間関係も、くよくよ悩む前に自分達は非常に恵まれていること、そして、無限の可能性があること、私達の恵まれた境遇に心からの感謝を深めることです。

 
そして、偉大な人物である社長さんは私達に、生命力の根源に至る非常に素晴らしい気づきを与えてくれました。この社長さんと身も心も一体化すれば、自ずとわかってきます。講演の内容の一部を紹介します。
   
 
秋田県中小企業団体中央会のHPより一部を抜粋させていただきます。

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僕は人よりも元気で勝気で、健康はいつまでも続くと思っておりました。そんな僕が「あれ、どうも何かおかしいな」と難病の予兆を感じたのは24歳でした。当初運動不足だと思いました。しかし、あれよあれよという間に走れなくなり、脱力感を感じるようになりました。そして医者の兄貴の勧めもあり渋々国立病院を訪ね、検査をした結果、進行性筋ジストロフィーという聞いたこともない病名をいただきました。


医者は僕にこう言ったんです。「Hさん、間もなく車椅子になると思って下さい」と。そして呆然としている僕に「その車椅子も長くはこげないでしょう」と。もう何を言われているのかさっぱりわかりません。更に続けました、「ひょっとするとあなたの手も足も完全に機能が止まり、そして寝返りもできなくなるかもしれません。残念ながらこの病気は治療法も原因の究明も現代医学ではできていないのです」と。


対処療法もありません。薬もありません。そして愕然としたのは、リハビリがないと言われたことです。僕のタイプは全身の運動細胞膜を破壊させるという日本では珍しいタイプらしいんです。それも手足からスタートして、やがて中心部へ向かい、やがて僕の呼吸と心臓を止めるまで細胞膜の破壊は続くと、このとき医者ははっきりとこう宣告をしました。


このとき26歳の僕の頭をよぎったのは、実は病気のことではありません。「どうやって生きていこう」これだけでした。金はない、信用はない、実績はない。借金こそあれ何もない。崖っぷちのようなものです。よくマスコミの方々が「Hさんは、なぜそんなに強いのですか」と、「なぜあのときあなたはその宿命に負けずに、泣かずに立ち上がれたのですか」と僕に聞きます。


だから、僕はいつもこう言います。「僕が強いんじゃありません」、
「泣かなかったんじゃありません、泣けなかったんです」と。泣いたら終わってたんです。泣いても僕には救済は何もなかったんです。あえて自分の経験から申し上げます。人間は強いんです。私達は豊かさの中で、随分自分自身を上げ底にしているんです。


まだまだ私達には本当の生命力というものが使われずに残っていると、自分の体験から、人間は昔の漁師の言葉で言う板子一枚、下は地獄という、この本当に板子一枚のありがたさ、生かされているというありがたさを本当に体で感じたとき、実は人間は、日本人はもっともっと強くなるんだと僕は改めて確信をしました。


ただ、僕はこう決めたんです。車椅子になる前に僕の車椅子を押してくれる社員を雇えればいいんだと、そして字が書けなくなる前に、僕の手の代わりをする会社というチームがつくれればいいんだと。また、経営は手足でするものではありません。首から上でするものです。強い意思と決断力と判断力と行動力と統率力でもって行うものが経営だと僕は思います。


よって、僕はこう判断しました。『無くしたものを数えるな。残っている機能を120%活性化すれば生き残れるかもしれない。例え体が動かなくなったって、人として一番大事な人間の尊厳までが失われてたまるか』と、そして『絶対にいい仕事をやって、いい銭を稼いでやる』と。医療・介護界への疑問、そして…


僕はこの難病の発症を両親と兄弟に伝えました。そして、当時恋人で将来を約束してた今の女房にも伝えました。女房は受けとめてくれました。私たちは27 歳で結婚を約束してたんです。女房は僕の難病を知っても一生懸命支えてくれました。26歳で宣告を受け29歳の終わり頃には、皆さんのように座ると僕はもう自分で立てなかったんです。


車を運転しなければ移動できません。そこで、一生懸命女房といろんな工夫をしました。やがてこの工夫が後にトヨタ自動車とのウェルキャブシリーズなどの開発に大きなヒントをもたらしました。僕は不動産業を大阪市内で行っておりました。ただ、生き馬の目を抜く世界でチャンスはつかみながら、やはりそんなにもうまくいかず、どんどん借金も雪だるま化し、それと反比例するように僕の体からは機能がどんどん失われていきました。


ところが、この体からどんどん機能が失われ、もうアウト寸前のところで念願の取り引きにたどり着くことができたのです。世の中に絶対的な神様のような方がいらっしゃったら、じっと僕を見ながら「おまえよく頑張ったな、ここで一息つかせてあげよう」と僕にご褒美をくれたのかもわかりません。そして借金の整理をし、事務所を落ち着け、ついに念願の社員を雇うことができました。