激動の時代を乗り越える叡智 2 M877
激動の時代を乗り越える叡智
激動の時代を乗り越える叡智-------その2
「無為にして為さざるなし」という老子の言葉があります。
無為とは、万象の内なるリズムに従って為すことなのだ
何かを為そうと思う人は、一度すべてを捨て去って、無為に
徹するべきだ。そうすれば何かが見えてくる。「道は常に無為にして為さざるなし」・・・作為しようとする欲望を止揚し、無為の境地に達すると、世界中は自ずから安定するだろう。
老子は2500年以上も前の人で、生まれ変わって釈迦になった!という逸話があるほどの人です。そして、2500年前なのに量子力学の宇宙観を理解していた人です。老子の説くところの「道」や「無為」は、量子力学の「統一場」であり、仏教の「涅槃寂静」や「極楽浄土」になります。
読者の方に、内面を深めることが大切です!と、諭しながら、自分は、まだまだ深めが足りない状態でした。老子の「無為にして為さざるなし」という戒めの言葉がぴったりで、何事も、無為に徹するべきで、何も見えていなかったのです。自然体ではなかったのです。「作為」しようと、何かに惑わされていたのです。些細なことですが、しっかり、無為の境地になって取り組むべきだったのです。
精神が外に惑わされなければ、身体は完全である。身体が完全であることを徳という。徳とは身体に得るものである。およそ、徳は無為であって集まり、無欲であって成り、考えないことで安らかとなり、用いないことで固まる。作為があり欲望があれば、徳は宿らない。徳が宿らなければ完全ではなくなる。と、老子はこのようにも論じております。
内面の充実とは、老子の説くところの「道」であり「無為」であり、ゼロに原点回帰しなさい!という教えなのです。何かをする時は、何かを為そうとする時は、自分の心の中のゼロの原点に戻り、そこからの無限のパワーに従い無限のパワーのリズムに従って事を為せばいいのです。
「万象の内なるリズムに従って為すことなのだ」ということです。これからの時代は、心の奥深くまで考えなければならない深刻なことも起きてくると思ます。そんな時こそ、万象の内なるリズムに従って下さい。必ず、内なる叡智は助けてくれます。
激動の時代を乗り越える叡智その1では、内面を充実させることを書きましたが・・・。その2では、その具体的な方法を書きました。これは、「覚醒」とか「目覚め」の様な概念ですから、一般的に私達は、このような考えには至らないと思います。
九死に一生を得た時とか、不治の病を宣告された時とか、この「目覚め」が起きます。けれども、「目覚め」は自分自身の中にあり、万象の内なるリズムに従って!ということは、大きなパワーに自分自身を委ねることがポイントです。
大きな全体(神)のパワーの下部(しもべ)・僕(しもべ)になるのです。ごめんなさい!どうか許して下さい!という気持ちで心から
謙虚に従うのです。そのことにより、意識が変容して、さらなる全体のパワーにつながるのです。
そして、今までの価値観を見直し、この様な考えを受け入れることが大切なのです。新しい光りの時代には、光りの時代の価値観があるのです。人が生まれたとき、体は柔らかく弱々しいが、死ぬときには堅く強張ってしまう。万物も草木と同じく生まれるときは柔らかで脆いが、朽ちて死ぬときは干からびて堅くなる。堅く強張ったものは死の仲間で、柔弱なものは生の仲間である。
私達のかたくなな心を開き、受け入れることは、柔軟な精神でいることになるのです。ですから、九死に一生を得なくとも、不治の病を宣告されなくともだれもが「目覚め」にいたることができるのです。