カタカムナ文献 M808

カタカムナ文献



能望を効率よく実践するための投稿より---------------------



「あいうえお」と出会って約1ヶ月、最近は「あいうえお」→「能望」の順に唱えることが習慣となってきました。そうすることで、能望を唱える口調がとても滑らかになり、高速能望がスムーズになるので、助かっています。(といっても一息10回くらいですが)


現時点の私では、ややゆっくりめに能望を唱えるほうが身体の気の高まりを感じやすいようで、高速にはあまりこだわらないようにしています。


能望 実践は通勤中を主としているのですが、「あいうえお」の難点は歩きながら唱えにくいことです。歩く振動による声の揺れを気にしなければよいだけなのですが、どうも気になってしまいます。
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今日は、思い切って電車の中であいうえおを唱えました。ドアの傍に立ってコッソリと。普段感じたことのない、通勤中での「気の高まり」を感じることができました。その身体感覚は、いまだに続いています。継続あるのみですね。ありがとうございます。

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投稿、有り難う御座いました。


>そうすることで、能望を唱える口調がとても滑らかになり、
>高速能望がスムーズになるので、助かっています。
>(といっても一息10回くらいですが)


多くの皆さんが、能望を唱える口調がとても滑らかになる!と、体験を頂きます。上古代人が作った日本語の素晴らしさを讃えた文章があります。

 
『幾たびも繰り返すことであるが、しかし、幾たび繰り返してもなお足りぬと思うのは、天然宇宙の発しているヒビキを、四十八の声音にうつすまでに観じ分け、それぞれの<ヒビキ>の意味とその<ヒビキ>の発せられた原因を解明して、そこに、共通の根源、 則ち「潜象」の存在を直観し、その「物理」をサトッて、それを普遍的な、極めて簡素な「表象図象」に抽象し、更にそれを説明する「文字」(声音符、図象符)をつくり、調子のよい歌詞に託して、子孫に伝えようとした程の高度の文化を開発していた祖先をもつ民族を、私共は、歴史上、他に類例を知らない、ということである。

 
今、我々は、その遠い祖先の造ってくれた日本語を、その謂われも知らずに使っている。しかし我々の心理は、無意識の裡に、この日本語を造った上古代人の思念を承けつぎ、日本語を話す人々の「脳」のみが、他のどの民族とも異なる局在を示すものであることが確かめられている。  

 
この驚くべき事実を、読者は、真に驚き、日本語を話す日本人なら、楢崎皐月カタカムナ解読に触れた縁を端緒として、自分達の日本語の成りたちに、則ち、日本民族の文化の真の価値に、改めて、スナホな関心をよび起こして頂きたいものである。』 (「相似象誌」第十号、五十二頁、カタカムナ文献について)


>高度の文化を開発していた祖先をもつ民族を、私共は、歴史上、他に類例を知らない。


>日本語を話す人々の「脳」のみが、他のどの民族とも異なる局在を示すものであることが確かめられている。  

 
この二つの文章からもわかるように、日本人ほど、高度の文化を持っていた祖先を持った民族は世界中にいない、そして、日本語を話す「脳」だけが、他のどの民族とも違っている!

 
結論としては、五十音は、現代の科学よりも1000年も進んだ古代の叡智から与えられたもので、意識して発声することにより、どの民族の頭脳よりも明晰になる!ということでしょうか? 能望を唱える口調がとても滑らかになるということは、五十音の発声で、脳が活性化したのです。

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氣の高まりもすごいものがありますから、脳や全身の細胞への影響や血液の流れも良くなっています。


>今日は、思い切って電車の中であいうえおを唱えました。
>ドアの傍に立ってコッソリと。
>普段感じたことのない、通勤中での「気の高まり」を感じる
>ことができました。
>その身体感覚は、いまだに続いています。


素晴らしいです。五十音の発声での「氣の高まり」は尋常ではありません。そうでうね。継続が大切です。