命の源流 M848

命の源流



龍が玉(如意宝珠)を大事そうに抱えて、マトリックス・マップの
『命の源流』の中に入って行きました。というお電話を頂きました。その人は、今まで長年抱えていたトラウマの様な固定観念から開放され、大きな気づきのきっかけを龍神様に与えて頂いたことに
心から感謝をしておりました。

 
現代の様な激動の時代に、自分の価値観をがらりと変えた陽明学の開祖である王陽明のことを思い出しました。固定観念がからりと崩れたオバマさんの例とも関連していますが、王陽明も、長年持っていた価値観をがらりと変えた人でした。

 
中国の明の時代に役人を努めていた王陽明は36歳から37歳の時に
貴州の龍場という僻地に左遷され、龍場の山中で、南宋の陸九淵の
思想を発展させて、「事物の理は自分の心をおいてなく、それ以外に
事物の理を求めても、事物の理はない」という、心即理を明らかに
したのです。

 
龍場では、言葉も風俗も異なる少数民族の住む地にあって、厳しい自炊生活を送りながら、思索を続け、「龍場の大悟!」(龍場での大いなる悟り)といわれる新学説・陽明学を誕生させたのです。彼は、自分が長年絶対だと信じて、一生懸命勉強してきた朱子学の学問の根幹は間違いだった!と、この時、悟るのです。

 
王陽明が生きた時代は、朱子学がひどい状況に陥っていて、我欲の人間ばかりになっていました。学問の仕方が、我欲を追求する表面的な机上の学問になっているので、王陽明は、何とかして本物の学問、活学を世に出さなければならない、それが自分の使命であると考えたのです。

 
本物の学問を学ばなければ、その人の一生は台無しになると王陽明は考えたのです。貴州の「龍場」という僻地に左遷された時に学問の根幹に気づいた、「龍場の大悟」ですから、これも龍神様が、導いたことになります。

 
彼は、自分の心に理を求めたり、自己の中にある判断力を求めることは、全ての人に可能なことであり、「満街の人すべて聖人」と言ったのです。こうして、儒学を広く庶民の学問に押し広げたのです。
 
 
王陽明は、自分の学問の根幹は「良知」(潜在意識、深層意識に眠っているパワーを全部ひっくるめたもの)であると説いております。自分自身が持っている「良知」は、もの凄いエネルギーであり、判断基準・人間として生きるべき道を指し示してくれるものだという事に氣が付いて、それを追求し引き出し、実行しようとしたのです。

 
体験・そして思索・・・それの繰り返しをして、激動の世の中を生き抜いてゆこうと考えたのです。王陽明は50歳になる前に、寧王の乱とその鎮圧後の困難に遭遇します。その中で、さらにその考えをすすめ、「致良知」の説を唱えます。

 
「良知」というのは人に先天的にそなわる知であって、学問をしなくても知りうる能力です。善なる知力が自然にそなわっているのだから、心を虚にし天理によって私欲を滅するならば、これが得られるとしました。

 
自分が信じているものは間違いないのだから、実行して常に確認をし、自分で体験をする事によって、その「良知」は更に深まります。朱子の知識は後天的学習によってえられるとしたのに対し、王陽明は心の本体がすでに知であるとして、「大学」のいう致知もこの良知を発揮することだしました。

 
王陽明は「聖人の心は、天地万物を以て一体となす」と説いていますが、これは自然と自分は一緒、私とあなたは一緒、太陽と私は一緒、草花と私は一緒・・・そういう考え方に基づいてものを見ています。

 
龍が玉(如意宝珠)を大事そうに抱えて、マトリックス・マップの 『命の源流』の中に入って行きました!という電話を頂いてから、王陽明の「良知」も、『命の源流』も、同じ概念になり、しかも龍神様が導いてくれて、従来の信念やトラウマもゼロにしてくれる!

 
『命の源流』のマトリックス・マップは考えを同じくするとんでもない思想家とつながりました。その方は、感謝の気持ちが深まり、根源の叡智に触れて、感極まっていました。


四神相応名前入り色紙