音を聞くのではなく「観る」 M778

音を聞くのではなく「観る」



“2”が八つ並んだ、シンクロの投稿より--------------------


塾長、 成功塾事務局の皆様そして成功塾の皆様。いつも、氣づきとエネルギーをありがとうございます。○○○です。ご無沙汰してます。久々さにすごいシンクロがでましたのでご報告します。

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私は自分のHPで成功塾を紹介しています。その中でHPのプレゼント企画としてアカシックテスト用の振り子を訪問して頂いた方に差し上げています。その振り子も最後の1個になってしまいましたがその最後の1個の申し込みが本日ありました。

アカシック

その申込の時間が”Date: 2009-02-22 (Sun) 02:22:22”でした。”2”が八つ並びました。何の啓示かはわかりません。四日ほど前に「八神光」のことが取り上げられていました。八つの”2”は「八神光」?につながるのでしょうか?私はなぜか22:22という時刻が眼に入ります。


申込をされた方との不思議なシンクロを感じています。このところ「幸せ」な気持ちが続いています。特に人を心から「愛しています。」と素直に感じています。

少し意識レベルが向上したのかもしれません。塾長はじめ成功塾の皆様「愛しています。」有難う御座いました。感謝。

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投稿有り難う御座いました。すごい2のシンクロですね。


>八つの”2”は「八神光」?につながるのでしょうか?

 
八神光との関係はまだわかりませんが、つながりはあると思います。ところで、聖徳大使は、推古天皇30年(622年)、2月22日に亡くなったそうで、2009年2月22日で、聖徳太子の1446回忌になり、2月22日が命日になるそうです。

 
夢殿の聖徳太子と等身大の秘仏救世観音像の「体内仏」の話題は、書きました。この体内仏が一連の「内在神」の追求のはじまりのようにも思います。「救世観音像」とは、世界を救う観音様のことです。今の世界に最も必要な菩薩様だと思います。昔から、観音様は人気のある菩薩ですが、以下のような説明もあります。

 

「観音」とは音を聞くのではなく「観る」という。観世音菩薩は音を聞くという経験のなかで、外から入ってくる音の流れを押し返して、聞こえる音を無くする方法を過去世の観世音仏から教わった。


耳から入ってくる音が消えてしまうと、動と静の二つの相(すがた)も全く生じない。このような修行をだんだんに積んでゆくと、しまいには聞くはたらきも、聞かれる音も、ことごとく無くなってしまったというのである。


『首楞厳経』では、観世音菩薩が過去世の観世音仏から教えられた「聞・思・修」の行によって、三摩地の境地に入る法を会得したことを伝えている。観世音菩薩はまず、聞こえてくる音の流れを押し返して、聞こえる音を無くすことによって、「聞慧」(聞くという経験に
関係する知性)を駆逐したというのである。これは聴覚であるところの「聞」の知覚の実体(「聞性」)を観想する行法であり、それは具体的に「返照」(自心の本源を究明する)と離縁(外界の対象から離れる)によって、感官の対象である声の流れについていかないことで成立し、究極的には「聞慧」(聞くという経験に関係する知性)を駆逐する方法だった。


この「聞」についての観想をはじめとして、これに成功すれば順次に他の知覚に及んでゆき、この行法が完了したとき初めて「人空」(主観的存在の空なる真理)を悟ることができるという。


「返照」(自心の本源を究明する)と離縁(外界の対象から離れる)!これは、私達の追及していることです。音を観るとは、深い意味があったのですね。心の目で観る!とも似ています。

 
「聞・思・修」の行には、聞の他にも「思・修」の行もありますから、思は明らかに、膨大な過去の思考の停止です。順次に他の知覚に及んでゆき・・・と、ありますので、観音様も、「返照」(自心の本源を究明する)と離縁(外界の対象から離れる)!ために、色々な修行をしたのですね。

 
>このところ「幸せ」な気持ちが続いています。
>特に人を心から「愛しています。」と素直に感じています。

アカシック


それは素晴らしいことです。八神光を唱えたり、 アカシック降龍の実践(スパイラルシート)は、心を深めて『命の源流』への探求でもあります。

スパイラルシート.jpg 

>少し意識レベルが向上したのかもしれません。


その通りです。愛ですからかなり高いレベルになります。道元禅師の言葉に、「“回光返照”の退歩を学ぶべし、自然に身心脱落して“本来の面目”現前せん」というのがあります。“回光返照”(えこうへんしょう) “本来の面目”とは、禅語辞典では“回光返照”とは、自己の心の光を自己に回らして自己を照明する事! “本来の面目”とは、自己の本来の姿、自己の実相!と記してあります。


「自我」が死んでゆくにつれて、宇宙と一体になっている「偉大な自己」(Self)と言うべきものと入れ代わりました。と、書きましたが、心からの感謝や、純粋な愛には自我の入るすきがありません。『命の源流』のパワーには、ますます確信が深まってきます。