その他のエネルギーも数値化 M539

その他のエネルギーも数値化

 

「特異な質問ですが。」という件名の、質問のメール--------


○○○○○です。


お久しぶりです。感謝の気持ちや質問がありすぎてまだメールや電話はよしておこうと思ったのですが、どうしても気になることがありまして書く事にしました。


わたしは執筆活動の研鑽を続けて3年で投稿を始めたばかりですが、同時に自分にとって根幹に関わる上記の分野について一人で考えていました。

アカシック


アカシックを活かしながら判定がずれることもあり四苦八苦していました。それは、いったいどこまで頭脳のエネルギーを上げられるかということでした。


またそのタイプについて・・・。わたしがここ数年で行なってきて気づいたことは以下のとおりです。認識をエネルギーで表されるならば その他のエネルギーも数値化できないか、と先生にお世話になってしばらくしてから思うようになりました。


それで一人で計っていますと、骨、筋肉、皮膚、頭脳に至るまで測定可能だということがわかってきました。それもそれが若さや能力として表されることも。また先生の紹介されている方法でそのエネルギーを上げることが可能であることも、です。


特に頭脳について、わたしは非常に悩んでいましたので、目から鱗とはこのことでした。わたしは経緯上、15年ほど慢性疲労に悩まされて
おり、真言をきっかけに二年ほどかけてほぼ完治いたしました(気管支炎がまだ少しありますが)。


その過程で中学時代まで少しあった聡明さが完全に消えてしまったのです。と言いましても小学校時代もまったく勉強ができず、地獄でしたが、中学で鬼のように勉強して成績が向上しただけなのですが・・・。この部分は先生の仰るような学習方法を少しは暗にやっていたのだろうと思っています。しかし問題はその後で、数値で言いますと、通常頭の良い、と言われる値は200ほどだと思います。つまり国立大学に入学できる値です。


215で京都大学、220で東大、230で東大主席という値をひねり出しました。なんども行なったので主観ではないと思います。ちなみに先生は250あたりのようです。日本のトップの頭脳が245前後ですので、相当な研鑽を行なわれたのだろうな、と想像がつきます。


これはあくまでウェルニッケのある左脳の値です。物事を理解する分野のことです。文章を書く前頭野、才能の右脳とはまったく別の話です。そこでわたくし事ですが、200ほどあったものが、なんと高校時120、最も身体が最悪だった30歳前後では100ちょっとという危険な状態でした。80を切れば痴呆に向かっていく値のようです。


身体の調子がよくなりだしたころ、執筆の研鑽を突然行ないたくなったわたしは再び鬼のように励み、190くらいまでは行きました。しかし、それ以降が伸び悩んでいました。そのときちょうど先生に降龍(スパイラルシート)を紹介され、時間は掛かりましたがどんどん上がりだしたのです。


これは一概には言えませんが・・・真言を百万回唱えようとしていたところでしたのでそれで急に上がったのだと最近気づきました。そこで九字きりをすると願い事が叶いやすいと書いてあったのでやってみると、これがビンゴでした!


わたしは今の願い事はすべて九字きりで行なっています。意識を下に下して九字きりをするとどんどんその組織にエネルギーが入るのが数値で判定できるのです。皮膚もあからさまに綺麗になっていくのが分かるのです(まあ、これも経緯上顔面の歪み方も激しくひどいふけ顔でしたので、一時は細胞年齢が60歳くらいでした)。現在34歳ですが、細胞年齢は27〜8歳のようです。


骨格にも入るので小顔になっていくのが触ってすぐに分かります。恐ろしい威力だと痛感しています。それはさておき、現在のわたしの頭脳は240を越えています。ここは専門的な話になるのですが、物を書くという行為はイメージする右脳と正しく表現する前頭野(特にここ)と文章を理解している左脳の共同作業です。


これをわたしはここ1年くらい追い求めていました。カポーティフィッツジェラルドディケンズバルザックドストエフスキー・・・、彼らの頭脳を調べていました。そこで分かったのが上記の分野のエネルギーでした。


あくまで適正なので、そこにエネルギーがあったからと言って、それはピアノやバイオリンを弾く能力かもしれませんし、絵を書く能力かもしれませんから、ここは個人的意見です。しかし、長い間、わたしは本が読めませんでした。今でも読みにくいものが多く、好き嫌いが激しいのです。しかし、書きたい。


それをつぶさに調べていくと、構成力という部分に気づき、それが高いものは読めるということに気づいたのです。でもそれは書き物をするある特定の人間の意見であって、多くの能力開発に携わる人間からすれば邪道だと思うのです。


それをタイプとして割り切っていいものかどうか。たしかに世界史の教科書を最近読んでみると、ずいぶん文字を画像で負えるようになっています。(これは海馬にエネルギーを入れるようになって急にそういう感覚になりました。つまり左脳に入れてもあまり使えていない状態だったようです。右脳や前頭野はずいぶん使えていますので、つまりは連動性?)


アリを這うように文字を追い駆けて自分のものにしたい部分が先行し、速読には違和感がありました。もし、単に本を大量に読みたいだけなら、可能なのでしょうが、こういう行為を行なって文章を身につけたいのだとしたら、速読はあまり効果がなく、構成力の高いものをゆっくり読んだ方がいいのではないか、しかし教養を身につけるには効果的に行ないたい、というせめぎ会いがわたしの中にいまだあり、踏ん切りがつかないでいる、というのが今回の問いかけです。


自分の書くものにこだわりがあって、そういうものを読みたいと思ってしまうためにそんな思考になっているようです。それが生まれつきあるとしたら、読書を無意識にできないものと判断していた可能性もあるわけです。


まあ、難しい生き物なので、うっとうしいかもしれませんが、頭脳を使う、それこそ連動性がまだ出来ていないのでしょうか?たしかにすぐに記憶できるというほどではないのですが、先生の仰る百読を行なう必要があるのかどうか、少し勉強方法について具体的に教えていただければ、ありがたいです。


ちなみに先生の百人に一人と仰る天才児の頭脳とはどの程度のことをいうのでしょうか?見ただけでばばっと記憶できるという感覚にはいたっていないので不思議です。サバン症候群の人はエネルギーが260と出ます。どこまで上げられるかとアカシックで調べると 、250〜254のようですが、これは生体が制御しているのでしょうか?ドストエフスキーの右脳も250あたりです。右脳も前頭野もどんな人も260まで行った人はいません。障害と引き換えにしか獲得できないと出ますが、いかように思われますか?

アカシック

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熱心な質問有り難う御座いました。


>わたしは経緯上、15年ほど慢性疲労に悩まされて
>おり、真言をきっかけに二年ほどかけてほぼ完治い
>たしました(気管支炎がまだ少しありますが)。

 
それは何よりです。


>そのときちょうど先生に降龍を紹介され、時間は掛
>かりましたがどんどん上がりだしたのです。
>これは一概には言えませんが・・・真言を百万回唱え
>ようとしていたところでしたのでそれで急に上がった
>のだと最近気づきました。
>そこで九字きりをすると願い事が叶いやすいと書い
>てあったのでやってみると、これがビンゴでした!


降龍の実践で、九字きりの効果が高まることと思われます。


>わたしは今の願い事はすべて九字きりで行なって
>います。意識を下に下して九字きりをするとどんどん
>その組織にエネルギーが入るのが数値で判定でき
>るのです。
 

エネルギーの流れは、スパイラルの命数が促進しているので、降龍=「名人の九字きり」と言っても過言ではありません。色々な奥義がありますが、スパイラルの命数と併用すれば次元を超越しますので、奇跡が起きて、それこそ、ビンゴになります。


>皮膚もあからさまに綺麗になっていくのが分かるので
>す(まあ、これも経緯上顔面の歪み方も激しくひどい
>ふけ顔でしたので・・・、一時は細胞年齢が60歳くら
>いでした。
>現在34歳ですが、細胞年齢は27〜8歳のようです。

 
noubou3.jpg

能望真言の実践は、七田先生もその恐るべき効果を著書に、推奨されていました。けれども、七田先生は忙しかったのか、宗教的に誤解されるのを避けていたのか、ご自分の実践体験を書かれていませんでした。特に、1929年前後(昭和一桁)に生まれた人々は、激動の中で成長しているので、成長期に十分な栄養が取れていなく、血管が弱くてもろくなっています。心臓や脳などの疾病にかかりやすく、80歳まで生きられたは奇跡なのかも知れません。

 
この世代の人達が日本を支えてくれたから私達が生きることができるのです。困難な時代に、日本を支えてくれたこの世代の人達には、心からの感謝を捧げるべきです。

aiueo

能望や五十音の実践は、お坊さんの修行である「お経」の効果と同じで、健康で長寿が約束されています。奈良時代から僧侶は日本人の平均寿命よりも、20年〜30年も長生きしていた!という記録があります。現代でも、まじめに「お経」を唱えていれば、100歳以上も元気で、頭脳も明晰で、現役で生きられる!ということです。実践者は、普通の年齢の人よりも若返って見えるのです


>まあ、難しい生き物なので、うっとうしいかもしれませ
>んが、頭脳を使う、それこそ連動性がまだ出来てい
>ないのでしょうか?


精読も、濫読も、必要なことで、たくさんの本を読むから連動性ができてくると思います。


>たしかにすぐに記憶できるというほどではないのです
>が、先生の仰る百読を行なう必要があるのかどうか、
>少し勉強方法について具体的に教えていただければ、
>ありがたいです。


自分が気に入った本は、何回も読んで、心の奥まで魂のレベルなで浸透させることが大切です。

 
>ちなみに先生の百人に一人と仰る天才児の頭脳と
>はどの程度のことをいうのでしょうか?見ただけで
>ばばっと記憶できるという感覚にはいたっていない
>ので不思議です。


これは、受験に必要な頭脳のことで、執筆活動とは違います。記憶よりも、経験を積んで、多くの人に感動を与える能力が必要になります。

 
>どこまで上げられるかとアカシックで調べると、250
>〜254のようですが、これは生体が制御しているの
>でしょうか?ドストエフスキーの右脳も250あたりで
>す。右脳も前頭野もどんな人も260まで行った人は
>いません。障害と引き換えにしか獲得できないと出
>ますが、いかように思われますか?


病的な記憶力よりも、情感に訴える能力が大切です。自分が書いた文章で、いかに多くの人に幸せになってもらえるか!!このようなことを考えて励むことが大切だと思います。私も修行中なので、偉そうなことは言えませんが、思考レベルや、文章の表現レベルが急激に高まることはありません。

  
どんなことでも、考えたことを書くことが大切だと思います。完璧な文章なんてありません。自分が書いた文章には心が反映しますから、常に反省が必要で、反省や失敗をいっぱい積み重ねて自分の文章になって行くものと思います。毎日、目標に向けて、切磋琢磨です。お互いにがんばりましょうね。