正念(しょうねん) M559

正念(しょうねん)



日曜日の何もしない実験のことは月曜日も紹介しましたが、月曜日は脳の疲れは取れずにとんでもなく眠たくて、火曜日の午前中は久しぶりに頭痛になりました。これはまずいと思い、慌てて五十音を唱え肺の中から二酸化炭素を吐き出しましたが、2時間ほど、軽い頭痛が続きました。

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日曜日に、ストップした大量の酸素の供給と二酸化炭素の体内の充満が、1日置いた火曜日にも影響を及ぼしたことになります。月曜からは,いつものように実践を開始しましたので、火曜日からは、通常通りの1年間続いた短縮睡眠に戻っています。水曜日も木曜日も、朝は快適に起きて、頭痛などもありません。

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能望や五十音を実践していて、体内に溜まる二酸化炭素という毒を吐き出していることを再認識しながら、特に意識して取り組んでおります。

 
頭痛や肩こりなどは、体内に大量に溜まる二酸化炭素が原因のように思われます。肺の肺胞の表面積はテニスコート程もあり、そこには二酸化炭素がびっしり詰まっているのです。肺胞の中は満員電車の様に「毒」が詰まっていて、その毒が血液を媒介に脳や全身にまわりますので、ダメージを受けるのは当然のことになります。

 
現代人は、ストレスなどで呼吸が浅くなっておりますので、なおさら、酸素は十分供給されず、体内には大量の二酸化炭素=毒が溜まっているのです。快適な睡眠と健康な毎日を過ごすためにも、能望や五十音の実践をお勧めします。これらは、最も効率の高い丹田呼吸法でもあります。


ところで、「吟」という漢字がありますが、吟味、吟ずる、詩吟の
「吟」ですが、分解すると、口と今と書きます。能望や五十音を実践することは、吟ずることでもありますから、「今」の漢字もあるので、今の瞬間に生きることにも関係するのかな?と、頭をよぎりました。

 
「念」という漢字にも、「今」がつき、「念」は今の心ですから、この念の方が、より今の瞬間に生きるようにも思われます。吟ずる⇒念ずる・・・、という今の瞬間に生きる深まりの段階があるのかも知れません。八正道に、正念(しょうねん)があります。正しい教えを念ずるという解釈になりますが、気になって調べてみたら、仏教系のサイトに私の推測に近い説明がありました。

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『正念(しょうねん)』とは、原語でsamma-sati と言って、sati (サティ) とは気づくという意味です。何に気がつくのかというと、今の自分に気がつくということです。瞬間瞬間の自分に気づくことなのですが、自分に気がつくためには精神統一をしなければなりません。そこで『正定(しょうじょう)』つまり、精神統一の状態で自分に気づく。ですから正念とは実践法なのです。


自分に気がつくことから始めて仏教究極の悟り、解脱、涅槃まで進むのですが、この涅槃に至る道は正念の一方通行の一本道なのです。この正念の実践を詳しく教えたものが、「中阿含経」に出てくる四念住という言葉です。「四念住」とはそこに止まってくださいという意味です。四種類とは、身念住、受念住、心念住、法念住を指します。


私たちはいろいろ考えて物ごとを見るから、本来あるべきでないものまで見てしまうのです。映画がいい例なんですが、本来映画というののはフィルムに一コマ一コマ停止したシーンがあって、私たちはその瞬間瞬間変化している画面を、これは動いているんだという頭の働きで動いているように見ているのです。


真理としては、動いていないのです。ところが。私たちは余計な考え方を働かせるから、真理が見えなくなってしまう。だから、そうではなくて今の自分に気がついてそこに留まりなさい、それ以上先きに行ってはいけませんというのが「四念住」の意味です。

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ちょっと難しいですが、やはり、今の自分に気づく、瞬間瞬間の自分に気づくこと・・・と、書かれていますから、正念(しょうねん)とは、今の瞬間に生きる!ことに関連しています。能望や五十音を実践で、吟ずる⇒念ずる⇒正念(しょうねん)する段階まで進化して今の瞬間に生きて下さい。