第一章 フロー状態と日本の武道の関係

第一章 フロー状態と日本の武道の関係


フローの状態は日本の武道と共通点があります。それは、フローも日
本の武道も禅に由来しているからです。弓の名人が意識を集中したのは臍下丹田の奥の一点です。遠くにある的は狙わずに、自分の心の奥の一点に意識を集中して、心にある的に矢を射たのです。自分の心と的は一体化され、宇宙とも一体化して神業を実現したのです。この弓の名人であった弓聖・阿波研造氏の言葉に・・・。「的に向かって目を閉じる、すると的の方から近づいて来る、しだいに的と一体になる、それは自分と仏が一体になることです、的は自己の不動心の中心にあるから狙う必要なく、矢を目の前の中心におくだけです、だからあなたも自己の心の神に気付き、的と矢と一体になれば、的はあなたの心の中心にありますから狙う必要はありません。」と、あります。


弓道の神様」と呼ばれていた、伝説の弓道家、阿波研造氏は、的を見ずに目隠しをして、暗闇の中でも、矢を百発百中、的中させることができたのです。これは、心の目、つまり「心眼」が開眼していたことになります。下腹部に精神を集中させて、丹田呼吸と、氣のエネルギーを練る実践で目標物である「的の真ん中」と一体化したのです。
遠くにある小さな的がどんどん大きくなり、近づいてくる。そして、的の真ん中が、巨大な宇宙になれば、矢をどこに放っても、真ん中に命中するのは当たり前になります。ですから、目を瞑っても、暗がりでも、どんな状況下でも命中することができるのです。対象物も宇宙も自分も一つになるのです。丹田の奥の一点に、意識を集中することが、この神業を可能にしたのです。肥田春充という武術の名人も臍下丹田の一点を「聖中心」と称して、神業や奇跡を起こしています。彼も、目隠しをして針金の的を射止める!という神業を実現しており、ますので、阿波研造氏の神業の真実を検証したことになります。


彼は、その生涯を丹田の研究に捧げ、史上初めて丹田のメカニズムを
科学的に明らかにしたことでも有名な人物です。彼は、幼少期は病弱で痩せ細り2 度も死の宣告を受ける程の虚弱児でした。数え年18 歳にして心身改造を志し、古今東西の健康法、運動法を研究実践し、西洋のウエイトトレーニング等に東洋の丹田鍛錬、気合等を取り入れた独自の心身鍛錬法、川合式強健術(後の肥田式強健術)を編み出したのです。彼は、その鍛錬により、わずか2 年で体格改造に成功したのです。そして、彼は、体力ばかりでなく頭脳も飛躍的に向上し、中央大学法科・明治大学政治科・明治大学商科・早稲田大学文学科の三大学四学科に入学しています。


在学中は、各大学の剣道、柔道、弓道等の選手となり、明治大学では
初めて柔道部を創設し、初代キャプテンとなったほどでした。彼には、エピソードがたくさんありますが、その一つに、先ほども触れた、目隠しをしながら弓矢で遠くにある針金の的を当てたという有名
な話があります。何度やっても、場所を変えても、一度たりとも外さなかったということです。目隠しですから、弓の名人と同じく外にある的を見ていない、狙ってはいない!ことになります。「1000 万回やったら、一発くらいは外れませんか?」と、聞かれた肥田春充氏は、「当ててから矢を放っているのですから、外れるということはありません」と、答えたそうです。この人も、目隠しで、的に命中できる神業ができたのですから、名人や達人に共通しています。この共通点に注目して下さい。これが武道の真髄であり、フローの条件の一つでもある対象物や自然との一体化とも非常に類似しているのです。彼は、晩年の1955 年(昭和30 年)には、社団法人「聖中心社」を設立し、多年研究の宗教哲学に基づく平和運動を展開するも、その設立後一年にも満たない1956 年(昭和31 年)8 月24 日、人類の前途を憂うる余り、水も取らない49 日間の断食の後、死去したのです。享年72歳でした。


これは、即身成仏の概念です。エゴ・自我・六根・欲望などの究極の
滅却法になります。空海が実践された即身仏の方法ですから、ものすごい人です。肥田式強健術は春充が強健に志した18 歳の春から、年々進化して、23 年目にて、体の中心を悟り、完成に至るのです。その過程で、西洋科学の概念から、だんだんと東洋の方式を取り入れて、東洋哲学の真髄へと移行して行くのです。


「私は考えた。科学的西洋式に組織された型を実行するのに、日本武
道の精髄たる氣合をもってし、精神生命をぶち込んでやったならば、こい願わくば、その効果を完全にすることができるであろう。そうだ。西洋式運動に、日本武道の精華を織り込んで、世界優秀の方式を編み出してやろう!これぞ、熱狂的興奮に燃えた当時の私が、小なるアンビーションであったのだ。そして又実に将来、光明歓喜の法悦境―正中心に悟入する第一歩になったのである。」「円を標準として、腹の中に球を想像する。中心力を作ると、球の表面から、球心に向かって、同一量の圧迫力が生ずる。かくして腹の中に力学的無形の球の関係が生ずる。前方は腹直筋によって、側方は斜腹筋によって、上方は横隔膜によって、下方は恥骨によって、後方は脊髄と腸骨とによって、統一した力が生じる。」


中心力とは臍下丹田の一点に意識を集中する力であり、これは、まさしく臍下丹田への気合の訓練にもなります。「(氣合とは)もっと分かり易く具体的に云うと、氣海丹田に力を込めることである。更に生理上から極めて平易にいうと、私が時々繰り返した所の『下腹部の緊張』ということになる。解剖学的に云えば『腹直筋の緊張』である。即ち横隔膜の操練によって、腹部諸機関を圧下すると共に、下腹筋肉を緊張させて、臍下一寸五部の所に力を込めるのである。下腹部の緊張は氣合の全体ではない。けれどもその最大要件である。その根底である。しかもこれを体育に応用し来たった場合、私は飽くまでも科学的に『腹直筋の緊張』を以って足れりとするのである。これだけ呑み込んで置いて呼吸を計り、精神を定め、注意力を集中し、しかも恬淡虚無、以ってこの腹筋の鍛錬を続けて行くならば、その矛盾の妙境から自然と『氣合』は会得せられてくるのであろう。」


最も正しき中心の力が出た場合は、物理的重心と足の中心とを結んだ線が、垂直となり、中心において、力学的無形の球をなす圧迫力が起こり、腰腹同量の力が起る。その強大な力が腰に影響した場合、仙骨神経叢から脊椎神経を通過して、脳神経に作用し、あたかも機械の如くに、ピシャと思考の機関が停止せられる。思念思考が止まれば、如何なる状態になるか、純潔、明朗、透徹、恰も天日が煌々として宇宙を照らすがごときである。」


ここで、特質すべきは、思念思考が止まる!ということです。心の核心に至れば、膨大な記憶の流れが止まるのです。ハワイの秘法とも禅の無念無想の境地とも同じになります。「身体の正中心点と、精神の正中心点とが、自ずから完全に、合致統一し、聖境燦然として展開した。」この境地より、「正中心」は「聖中心」に純化され、それまでとは比べ物にならない様々な能力が発揮されるのです。弓の名人と同じように奇跡の現象が当たり前に起こってくるのです。


「人体の、物理的中心を鍛えること、そこに、精神修養の妙諦が潜んでいる。正確な正中心を、得ることによって、精神状態は、機械の如くに、支配せらるるものである。若しそれ、ピシャァッと、強大な中心力が生ずると、精神の中心は、自ずから下って、其の一点に集中し、一切の思念観想は、機械の運転が中止したように、ピタリと停止されてしまう。考えようとしても、考えることは許されない。思念しないのではない。思念することが出来なくなるのだ。明朗なる無念無想の状態は、自ずから現出される。」「 ドカッ!?突如!!いまだ経験せざる所の、強大恐るべき力が、腰と腹の中心からほとばしりでた」のです。


さらにその力を「それは床を突き通して、地中に入り、地球の中心を
貫いて、ストーッ。無限の宇宙を無限に突き抜けて行った。オオ、無限の力だ。無限の力!無限の力!オオ無限の力だ。身も心も震蕩(ふるえ、動く)する絶大の力、光明の揺らめきだ。生命の躍動だ。これこそは真に『活ける命の泉』だ。無限の力と共に、無限の歓喜は私の中心から全身にみなぎった。しかも何とドッシリと落ち着いた喜びである事よ。泰山の重さである。宇宙の静けさである。そうして身も心も、聖愛と生命の霧に、包まれているかの様。またちょうど彼の燃え立つオリオンの大星雲中に座するかのようでもある。」


公園のベンチが壊れてしまうほどの氣が出て驚きました。という投稿がありましたが、これが臍下丹田から出る氣のパワーです。ですから氣の海と言われている臍下丹田のパワーは無限の力が湧き出てくるのです。武道の達人とお同じ現象なのです。この方は、『幸せの和』 を9 つ貼り付けてマンダラの形にして、それを瞑想されていたということでしたから、マンダラの高次元の作用が起きて臍下丹田を刺激して、突然エネルギーが出たものと考えられます。


「身体の正中心点と、精神の正中心点とが、自ずから完全に合致統一し、聖境燦然として展開した。」という表現から、身体を制御するのは高次のエーテル体であり、精神を制御しているのは、アストラル体やメンタル体と言われております。第一身体⇒第二身体→第三身体→第四身体→第五身体→第六身体→第七身体は、それぞれ、肉体⇒エーテル体→アストラル体→メンタル体→コーザル体→コスモス体→神体と対応しています。


高次のエネルギー体である、エーテル体→アストラル体→メンタル体の中心が合致統一し、一体化したものと思われます。喜びとか歓喜とか「無限の歓喜は私の中心から全身にみなぎった」と言う表現もフロー状態に共通しています。ところで、臍下丹田で有名な歴史上の人物は白隠禅師です。弓の名人も、「聖中心」の武術の達人も、白隠禅師の丹田呼吸の影響を受けているのは明らかです。白隠禅師は臍下丹田の一点を「唯心の浄土」と称して意識を集め、丹田呼吸の実践で自らの不治の病を完治させ、さらに心身も頭脳も明晰になり、500 年に一人の天才僧と言われて、数々の奇跡を起こしております。白隠禅師には、白幽仙人という高次の自己(ハイヤーセルフ)がついていて、色々な面で導いて書いた書物もあります。イチロー選手が「神が降りてきましたね!」と、インタビューで答えていましたが、同じような状況だと思われます。フローの状態を深めてゆけば、このような現象が起きるのです。ユングの賢老人が有名ですが、彼はマンダラを書いて、絶望の状態から、色々な障害を克服し、この高次の自己(ハイヤーセルフ)とも思える賢老人が現れて、色々なことを教えてもらっております。


南方熊楠氏も、マンダラを活用しておりますので、フローの状態と
高次元のパワーのあるマンダラとは密接に関係があるようです。臍下丹田に関しては、世界のホームラン王の王元監督も、松坂選手も、体の中心の臍下丹田の一点に意識を集めて、軸がブレないように意識を
集めて偉業を成し遂げています。そして、神人合一の武道として完成させた、合気道の開祖、植芝盛平(うえしばもりへい)という武道の達人がいました。彼の言葉には、フロー状態が禅や武道から由来していることがわかる非常に勇気付けられる言葉がたくさんあります。


天地の真象を無駄に見過ごすな!


合氣は愛氣、「合」は「愛」に通ず!


真の武の道は万物造成の宇宙的根源生命力を活かすこと!


真の武道とは宇宙と一つになること!


和と愛と礼節あってこそ真の武の道!


武の究極は神人合一である!


声と心と拍子が一致して言霊となる!


十種の神宝も三種の神器もみな、身の内に!


心と肉体と気の三つを宇宙万有の活動と調和


天地人和合の理を悟る


相対する者を、「敵」として対抗するのではなく、気を合わせて、「和」へと変容する独自の武道は、世界にも類がない。


自然と自己が一体化するとき、人間の想いも及ばない無限の力が出るという悟りの武道である。


天地和合の境地に立ち続け、相手の殺気を溶解してしまう。つまり魂の力で相手の力を奪うことができる。植芝盛平氏は、和歌山県田辺市の出身だったので、真言密教の教えや弘法大師の奇跡説話にも関心を抱き、子供の頃からの精神的な背景は空海にあったようです。そして、同じ町出身の博物学者・南方熊楠と出会い、その思想に多大な影響を受けています。


さらに、1912 年、開拓移民として北海道へ来て、8 年間の辛苦の末、
開拓を軌道に乗せ、村会議員にまでなっています。しかし、父危篤の報を受け、北海道を後にします。合気道の開祖、植芝盛平氏の言葉には、「フロー状態」になる一体化という言葉が頻繁に出てきます。ですから、弓の名人や武術の達人とも共通していて、ここからも武道の精神がフローと、密接に関連していることがわかります。フローの概念は、西欧心理学の中では心理学者チクセントミハイによってはじめて示したと思われていまが、2500 年以上前、仏教や道教といった東洋の精神的な伝統の実践者は、このフローの訓練を彼らの精神開発の非常に中心的な部分として磨いていたのです。


日本の実践者は、そのような禅の技術を、彼らの選んだ、剣道から生
け花までを含む、芸術の形式(芸道など)を習得するために学びました。と、ウィキペディアにも説明が載っています。何度も書きますが、フロー状態になると、シンクロニシティが頻繁に起こります。そして、他人にフォーカスして、それに没入するときも、さらに、命中しようとする的と心の中で、一体化している時も、フロー状態になります。さらに、自分の本来持っている純粋なエネルギーの流れに乗ることも「フロー状態」になります。


世界でもっとも重要な国際ピアノコンクールで、日本の盲目のピアニストが金メダルを獲りました。このコンクールでは、盲目のピアニストが金メダルを獲ったのもはじめての快挙になります。彼は、目は見えなくとも、命中しようとする鍵盤に、心の中で一体化しているので、奇跡が起きたのです。彼に関しては、色々な意見がありますが、彼のビアノの音が多くの人の魂に響き感動させたから金メダルにつながっているのですから賞賛すべきです。彼は、自分の本来持っているエネルギーの流れに乗ることで、フロー状態になって奇跡を起こしています。盲目のピアニストは、言うまでもなく、弓の名人も、合気道の達人も、武道の達人も、目隠しをして、心の眼で神業を行いますから、すべての命中する的は心の中にあります。


フローも武道も、禅も、心を深めていることには共通しております。
第2 次大戦後、日本はアメリカの占領下にありました。日本人は、そ
の占領下(昭和20 年〜27 年まで)で、徹底した精神性を軽視する洗脳が行われました。民主主義をスローガンに、日本人がアメリカに従順になり、何でも言いなりになるように、当時の洗脳のスペシャリストが作製したプログラムで、日本人の心や精神を骨抜きにする洗脳が行われたのです。その影響が60 年以上も続いていて、戦後、丹田、胆力、氣・・などの精神性を高める言葉はタブーになり、丹田などは死語になっております。


GHQに依頼された当時の洗脳のスペシャリストは、精神的な支えが
無くなれば、人は弱くなることを認識していて、学校の教科書やマスコミの検閲を徹底して行い、精神の弱体化を計り、現在の日本人の精神の荒廃につながっているのです。原子爆弾を落とされて何十万人という民間人が殺されたのに、それが当然のことのように容認され、アメリカが正義で過去の日本が悪であるという洗脳が徹底されたのですから・・・。日本の伝統的な精神性は悪であり、エゴの個人主義が正義になって、多くの日本人は骨抜きになってしまっているのです。このままの西洋の弱肉強食の志向のままで、幸福を追い求めても、不
幸になるだけ!と多くの日本人は気づき始めていいます。日本人の誰もが、本当に能力が高まり、幸せの状態でパワーをアップされたら困るのはアメリカです。


十種の神宝も三種の神器もみな、身の内に!などと言う考えは、ほとんどの人が意味不明になっているのです。インターネットが普及して、禅も武道も見直されフロー状態が多くの人に注目されれば、日本人の精神の荒廃は防げて、幸せになる人がそれだけ増えるのです。