内なる龍神のパワー M511

内なる龍神のパワー 



七龍珠(ドラゴンボール)革命


はじめに


第1章------龍・竜のエネルギーが流れを変える!

 
2010年の年明け、正月2日、3日と竜と龍のエネルギーが注目されました。偶然が2つ続いたら、その方向に行ってみる!という言葉がありますが、竜と龍のエネルギーの方向に何があるのか?そして、その源は?正月2日の竜のエネルギーの神業は箱根駅伝のことですので、省略します。正月3日の龍のエネルギーの神業について掲載します。

 
そして、もう一つの龍は、2010年のNHK大河ドラマで正月3日からスタートした「龍馬伝」です。土佐藩には上級武士(上士)と下級武士(郷士下士)の理不尽な身分制度があり、下士の身分であった幼い龍馬の作法が上士に対して無礼にあたり、龍馬は打ち首の扱いになってしまいました。土佐には(郷士下士)の無礼に対して、上士は無礼討ちをしてもかまわないと言う法があったのです。

 
病弱な龍馬の母は、龍馬の命を守るために土砂降りの中を、ずぶぬれになり、龍馬の命を救うべく、命がけの嘆願をしたのです。龍馬の母の決死の訴えで、龍馬は助かりましたが、それが原因で、龍馬の母親が死んでしまったのです。上士(上級武士)に龍馬の母親は殺されたようなものです。それにも関わらず、龍馬は決して人を恨みませんでした。「恨みからは何も生まれない!」という母からの遺言があったからです。

 
龍馬が自分の心に常に浮かぶ言葉は、母から与えられた言葉で、成長過程で何度も何度も反芻しているうちに龍馬の母の愛が基底にある天真爛漫な性格や崇高な精神が養われたのでしょう。自分の命を、身を持って命がけで助けてくれた母の言葉ですから、心に深く刻まれ一生崖忘れなかったと思います。龍馬の龍は、パワフルな龍のイメージとは180度違い、すべてを包む大きな心、深い愛の心を象徴した龍神
守られているような気がしました。今まで読んだ小説の中には、母親の今回の番組の様なエピソードはありませんでしたが、龍馬が10歳の6月10日に、母親「幸」は享年49歳で他界する!という歴史的事実があります。

 
この日は母の命日でもあり、最愛の母が龍馬の心に宿した記念すべき日でもあったと思います。龍馬は母親が高齢になってからの子だったので、母は人一倍可愛がり、泣いて帰ってくる龍馬をいつも優しくしてくれたのです。龍馬とは珍しい名前ですが、母の「幸」は懐妊中に「空高く天に昇る龍の夢」を見たことから、「龍馬」(りょうま)と命名した有名なエピソードがあります。

 
体の弱い母は、幼少より“鼻たれ泣き虫”といわれ、出来が悪く叱られて、いつも泣いて帰ってくる幼い龍馬に、「おまんは決して出来の悪い子じゃないき。龍馬はきっと立派なお侍になるき。母はそう信じちゅう」と語り、愛情をいっぱい注いでいたのです。今までの小説にはなくても、実際にも今回の大河ドラマの様な母と子のシーンがあって、龍馬の心に母の言葉や愛が深く刻み込まれ、いつまでも残っているのは、ごく自然のことだと思いました。

 
力づくのパワフルな龍では、「薩長同盟」、江戸城無血開城、そして、明治維新という奇跡の革命は成し遂げられなかったと思います。明治維新に至る一連の経過は「神業」とも言われていますが、脱藩した名も無き若者が幕末の混迷する日本の舵取り役として「龍神」のような働きをしたのですから、まさしく神業です。ガンジーが当時の世界最強の大英帝国に、たった一人で、非暴力の精神で打ち勝ったのと類似しています。ガンジーも暗殺されていますから、人間愛、大きな開かれた心そして、崇高な精神は武力よりも勝る!という共通点があります。

 
正月2日の竜もそうですが、3日の龍も偉大なことをする竜・龍にも共通点あります。純粋な心、すべてを包む大きな開かれた心、愛の心、偉大なことを実現する竜・龍の共通点です。この本質を理解できると世の中を変えてしまうような龍のパワーが宿り、誰もが偉大「神業」を成し遂げることができると思います。

 
ところで、西洋と東洋の龍のイメージは、西洋の龍は悪魔の化身で、東洋では神の使者ですから明らかに違います。そして、さらに、東洋の龍でも、中国の龍と日本の龍にも違いがあります。中国では、歴代の王様が龍に象徴され、龍は征服・覇権のシンボルでもありました。元々龍は中国から日本にやって来たのですから、日本の王である天皇も龍をシンボルにするのは当然の成り行きだと思われます。

 
ところが、歴代の日本の天皇のシンボルが龍ではない!ということは、日本の支配者は中国の龍には違和感を持っていたのではないでしょうか?中国では、歴代の王朝は栄えては滅ぼされ、征服と支配の繰返しで、長続きのしない王朝でした。日本の天皇家のように2000年以上も続きしている王朝はありません。

 
中国では、何千年もの間、騎馬民族や異民族との覇権争いが絶えなく、いつも下剋上の状態なので、征服してもいつ滅ぼさるのか、人を信用できなくなり猜疑心の塊のようになってしまいます。ですから、中国の王朝では、内外の敵に常に不安を抱き、心に余裕がなくなり、猜疑心が強く、心を閉じた冷酷な龍、パワフルだけれども征服・覇権のシンボルとしての龍だったのです。古代の日本の天皇をはじめとする支配層が違和感を感じたのかも知れません。日本は仏教でも儒教でも違和感の感じないものは受け入れてきました。

 
けれども、龍に関しては天皇のシンボルとはしないで、庶民を守る龍神様として受け入れたのです。日本の龍は、中国から日本に来て高い意識に変容したのです。「龍馬伝」の番組のオープニングの登場人物の紹介画面に出てくる金色の大きな龍は、パワフルでいかにも強そうで、征服・覇権のシンボルの龍に見えてきます。今の段階では、パワフルな征服・覇権のシンボルの龍に見えても、回を重ねるごとに、日本的な龍馬の龍に見えてくると思います。

 
ところで、2009年のNHKの大河「天地人」の主人公、直江兼続は、
越後の龍こと上杉謙信の教えを一生崖貫いてどんな逆境にあっても上杉家を存続させた物語でした。上杉謙信は、出家を決意し高野山での修行経験のある武将ですから仏の道にも通じていました。自らを毘沙門天の生まれ変わりと信じ、義を貫き民の安定を常に考えていました。直江兼続は、謙信亡き後も偉大な謙信の精神を継承して愛と義に命をかけ、謙信の精神を生涯かけて守った人物です。

 
誰もが目先の利に飛びつく戦国の世にあって、謙信の精神である「義」を貫くにはどうすればよいのか、領民や家臣に対する「愛」とは何なのか、どうすれば親方様の精神に近づくことができるのか。兼続は謙信の教えをいつも考えながら彼の生きざまのなかで実践したのです。

 
彼の心の中には常に越後の龍が宿っていましたから、常に正々堂々と謙信の深い愛と共に生きていたのです。2009年の大河で「越後の龍」を直江兼続がクローズアップしてくれましたが、この「越後の龍」も、日本的な龍になります。20世紀までは、織田信長豊臣秀吉など、成功するためなら手段は選ばず、という英雄像が人気を博していました。

 
けれども、21世紀は、明智光秀上杉謙信などの意識レベルの高い良識のある武将が見直されています。歴史をふり返ると日本は1467(人の世むなしい)とゴロ合わせで覚えた「応仁の乱」以降、100年以上も戦国時代が続きました。この時代は戦いの連続ですから、国土も人心も荒廃して下剋上は当たり前になっていますから、武将は皆、中国と同じ征服・覇権の龍にならざるを得なかったのです。

 
20世紀も同じく、戦争と競争の時代でしたから、弱肉強食の誰もが私利私欲に走り、中国流の征服・覇権の龍を目指していたのです。西洋の悪魔の化身の龍がどんどん日本に企業の買収にきたのはつい最近のことですから、こちらのサイドでも、悪魔の化身の龍にならないと太刀打ちができなかったのかも知れません。ですから、誰もが20世紀は、時には悪魔の化身の龍になり、時には征服・覇権の龍になり、生き抜いてきたのです。けれども、信長と秀吉の末路が象徴しているように、西部やダイエーの社長が物語っているように、不幸を招き、晩節を汚し、末永い繁栄には至らないのです。

 
欧米の強欲資本主義が招いた金融恐慌がすべてを物語っています。21世紀は、西洋の悪魔の化身の龍はもちろんですが、征服・覇権の龍も生息が非常に厳しいのです。2010年の1月、日本の翼とまで言われたJALが戦後最大の経営の破綻を招き、豪腕と言われている政治家の秘書や側近が3人も逮捕されています。20世紀までは脚光を浴びて、その振る舞いも賞賛された覇権の龍を象徴している企業と政治家が、2010年になって最後通牒をつきつけられているのです。