「肚(人間の中心)」 M6911

「肚(人間の中心)」
 


願望の達成には、セルフイメージが大切ですが、白隠禅師の内観の四則ほど、強力なセルフイメージはありません。自分の気海丹田、腰脚足心こそが、本来の面目(めんぼく)、本分の家郷(かきょう)、唯心の浄土(じょうど)、己身の弥陀(みだ)である!と、言い切るのですから、これ以上に勝るセルフイメージの向上法はないと思います。

 
その意味は、「わが気海丹田、腰脚足心にこそ 、 真の自己が宿っているのだ。同様に、この下半身こそ、 なつかしい人間の故郷であり、また阿弥陀如来である。それどころか、この気海丹田、腰脚足心そのものが心の浄土である」


本来の自分は、丹田にあり阿弥陀如来である!と、言い切っているのですから、すごいものです。

 
徹底して息を吐き、そして、本当の自分を見つめるという強い想念で、丹田をイメ−ジすることにより、極楽浄土になり、阿弥陀如来
なるのですから、この意味を完全に理解して、実践したら、どんな難病も完治して、それこそ五百年に一人の天才になれます。

 
これは、強力なセルフイメージ法の効果であり、未来の望ましい自分との道筋をつけていることにもなります。未来に縁起をつけて、現在に引き寄せているのです。それも、とびっきり強力な内観ですから、次元まで超越して、未来から望ましい自分がやってくるのです。

 
皆さんも、この内観法をその意味を完全に理解されて実践してくださいね。どんなことにも動じなくなります。そして、ドイツの哲学者の「肚(人間の中心)」も、この「肚」(ハラ)は白隠さんの丹田をさらに深めて分析しております。ドイツの哲学者「カールフリート・テュルクハイム」の著書「肚(人間の中心)」に よると日本の文化は「肚」(ハラ)を中心として形成されていると意識されている

 
この本の著者は、ドイツの心理学者・哲学者で、戦争中から戦後にかけて7年間日本で、禅、武道、書道などを習い研究しました。そして、日本の伝統文化の根底にあるのは「肚」(はら)であることをつきとめ、肚を鍛えることによって、西洋人の心を蝕んでいる心身二元論を克服できると考えて、この本を書いたのです。


肚は誰にも備わっている、より大きな生命の力と人間とを根源的に結合するという本性を備えている。その限りでは、肚は人間に労せずして与えられた、生命の贈り物である。

 
しかし、自我の成長と共に、自然のもつ根源力や秩序との結びつきは失われていくのが常であるから、人間にとっては肚を持つことが課題となる。身体の重心を肚に置くとき人間は「頭による知力」の支配から解放され、心身一如となった活動の場に住することができるのである。

 
肚とは、人間がその根源的中心へと通じる道を見出して、そこから自分が本物であることを確かめる心身状態をいう。肚を鍛えながら体得していくことは、人間が完成への道に至る門を開くことである。姿勢よく、どっしりと、そして落ち着いて、これがその意味を正しく受け取っている日本人にとって特徴的で、かつ全体として肚の存在を表現する姿勢の三原則である。

 
肚のある人間は、自己自身の内部の中心に常に回帰できるので、落ち着きがある。 肚に重心を置くことにより、自我の固定的な観念が柔軟性をもつようになり、人間に創造性が生まれる。そのことが人間に、直感力、造形力をもった行為の可能性を与える。肚に重心を据える場合、すべての状況、行為は柔軟性をもち、本質へ近づけてくれる。「肚―人間の重心」より


「人間の動きの原点は臍下丹田である。肚である。肚中心の動きにする。肚で呼吸し、肚で考える。肚でペンをもち、肚で字を書く。肚で歩く。スポーツも、みな肚が中心、野球やゴルフの球は肚で打つ、肚が先ず動く。心の動きも同様で、肚に心をおき、肚を意識し、肚で判断し、肚で考えを決定する。」という言葉もありますから、テュルクハイム氏の「肚」(はら)は明らかに臍下丹田のことになります。


肚=丹田は人間の体の中心であり、そこに神経を集中することで、姿勢を安定させるとともに力を最大限に発揮させることが可能になるのです。「肚に力を入れて」というのは、腹筋に力を入れてという意味ではないことだけはわかります。「肚に力を入れて」というのは、丹田(肚)にエネルギーを入れて充満させるということです。

 
「肚が坐っている」とは、丹田のエネルギーが満タンの状態で、どっしりと安定しているという意味です。この丹田の部分には大腸や小腸があり、腸はリトルブレインとも言われて、脳と連動しています。ですから、丹田呼吸で、血液を浄化して腸をきれいにして活性化することは、「脳」も活性化されることになります。


白隠さんの軟酥(なんそ)の法も、丹田呼吸の一連のシステムになっていますが、丹田を出現させる事が「神人合一」(神・仏性)に導くシステムになっていることがわかります。500年に一人の天才が、本質的な神・仏性を発揮できる可能性が臍下丹田に秘められていると教えてくれているのです。

 
わが気海丹田、腰脚足心=丹田と腰から下にかけての全体ですから、丹田の一点に、こだわらなくても、重心は下にあり!と意識してもOKですね。氣のエネルギーを臍下の全体に集めて、足心にまで充満させる!というイメージでも氣は高まります。