視点を変える水平思考 M2321

視点を変える水平思考

 
水平思考(lateral thinking)は既成の枠に捕らわれずに視点を様々に変えて問題解決を図る思考方法です。与えられた枠の中での問題解決を探る通常の思考方法は垂直思考(vertical thinking)と呼ばれます。

 
あなたならどのように考えて、問題を解決するか?[年老いた醜い金貸しに借金した父親と娘の具体例での水平思考]多額の借金をした父親と娘に対して年老いた醜い金貸しがチャンスを与えます。敷地に散らばっている石から白い石と黒い石をひとつずつ選んで袋にいれた籤(くじ)を作って引かせてあげようと提案したのです。娘がもし白い石を引いたら借金は帳消しだし何もしなくていいが、黒い石を引いたら借金は帳消しにするが娘は嫁として貰い受ける」と言いだしたのです。

 
「このチャンスに掛けないなら借金をすぐに返せ」と金貸しは迫ります。若く美しい娘は年老いた醜い高利貸しのところには嫁に行きたくありません。でも、高利貸しが2つとも黒い石!の籤(くじ)を作るところを娘は見てしまいました。「このとき娘はどうするのが賢いか?」と、この本の作者のデボノは問いかけました。 

 
既成の枠に捕らわれた垂直思考では、「籤(くじ)を引くのを拒否する」、「インチキを暴いて籤を作り直させる」、「父親を救うために諦めてお嫁に行っちゃう]という考えしか浮かびません。垂直思考では「娘が取出す石の色」に捕らわれたままなので、有効な問題解決方法が見いだせないのです。

 
水平思考では袋の中に残る石の色にも庭の石にも注目します。娘は籤(くじ)を引きます。が、石の色を確かめる前に!敷地に落してしまうのです!そして、「あらっ、 私ってそそっかしいわね. でも大丈夫!
袋に残ってる石の色を見れば引いた石が何色だったか分かりますものね」 と、自分が引いたのは白い石であることを納得させるのです。

 
籤(くじ)を誤魔化すほどの高利貸しですから、その後の対応が心配ですが、ここでは視点を変えて、通常の垂直思考ではなくて、水平思考に切り替えなさい!と、言っているのでしょう。「こんな状況を打開する方法なんてない!」としか思えないときこそが!水平思考の出番です。一晩寝て問題を別の角度から見直してみましょう。諦めかけていた問題の解決策が見つかります。との説明もあります。あきらめないで深く考えることですね。

 
陰陽の法則--------------------------------------

 
この世の中の全てのものが、バランスのとれた陰陽の法則の中にあります。体も心も運気も、この陰陽のバランスが崩れたときが崩壊・病気の方向に向かいますから、日常生活の中でこの陰陽二局を理解し、調整を図ることが、肝心であります。陰陽の法則は大宇宙から小宇宙まで全てを司り、陰陽の物の見方を身に付けると、周りのすべての世界が一変します。陰陽の法則は、すべての本質を見ることのできる魔法のメガネ
なのです。「確かないのちもうけ─生命素との邂逅」から抜粋します。


序章------太陽の大いなる陽----------

 
ノーベル賞に輝いたドイツの細胞生物学者オットー・ワールブルクが、植物のみどりの色素──葉緑素の中に生命の基幹物質が存在することを予見してから、すでに七十余年を経ました。「生命の基幹物質」……長い間 分からずじまいであったそれが、太陽の光の粒子であることを明らかにしたのは、近年目覚ましい進展を遂げた量子力学です。私は奇(く)しくもこの生命の基幹物質と巡り合ったのです。それは温故知新(故(ふる)きを温(たず)ねて新しきを知る)に拠るものです。


この場合の故きとは陰陽の法則であり、新しきとは、生命は物理量の最小単位である素粒子──太陽の光の粒子に由来するとの量子力学の教えです。とはいえ、いまのところ量子の世界をこの目で見ることはできません。陰陽の世界とて同じです。目には見えねど働きのある量子力学の世界です。光の粒子は生命の基幹物質であり、陰陽はその生命の消長を左右する、もとはといえば同じ量子物理の世界です。

 
量子状態を観測できるホログラフィー顕微鏡の出現が期待されています。これが完成すると、超極微の世界が明らかになります。こうした無辺際の宇宙の仕組である生命の基幹物質を孕(はら)むそのモノは、植物のみどりの色素──葉緑素から取り出されたエメラルド・グリーンの液体です。人は良かれ悪しかれ、人やモノとの巡り合いが転機となって、その後の人生を決定づけられるものです。〈生命素〉との巡り合いが、私の専門とする漢方の臨床に、ただならぬ変化をもたらしました。


漢方ではお手上げの、だからといって現代医学でも決め手がない難症に、あるいは老衰に、〈生命素〉が「即!確かないのちもうけ」となるのです。


省略

 
太陽エネルギーを直接にしかもたやすく取り入れることができるとなると、生命にとって、とてつもないこと、良いことずくめのことが起こります。さしずめ、何病であれ、老衰であれ、体衰気弱になっているときです。余命が気にかかるといったときです。このような亡陽のとき、「陽」の取り入れが即、回生の働きとなるのです。良いことずくめの基(もとい)は、免疫力の劇的な高まりです。治病、健康の保持、長寿へと?がって行きます。若返り、相貌が良くなり、そして運勢まで開けるのが「陽」の働きです。クスリではとうてい考えられないことです。

 
その根拠は、生きとし生けるもの太陽の大いなる陽(気・エネルギー)
によって生かされているという大自然の摂理です。私たちの生命の消長〔消滅と長久〕は、実に陰陽の法則のもとに在るのです。言うまでもなく、陰は「消滅」に、陽は「長久」に働きます。生命現象を陰陽と虚実(衰えと盛ん)の物指しで測ると、生老病死の四苦の殆どが、「陰多くして陽少なし」か、更には、亡陽の現象なのです。


生まれたこと自体がすでに苦であるとの、仏教の深遠な教えはさて措いても、生まれつきの障害や幼小児の持病はまさに生の苦です。これらはすべて陰に発するものです。母体の「陰多くして陽少なし」に因(よ)ります。老いは、「陰多くして陽少なし」の典型です。加齢と共に虚労の度合いも高まります。そして、病の多くが陰性病なのです。たとえ始めは陽に発しても、病が長引くにつれて陰が加わり、陰性病に転じます。末期ともなると亡陽の現象を呈します。そして、死は亡陽の果てなのです。

 
こうしてみると、生老病死の四苦にどう向き合ったらよいかは明らかです。「陰多くして陽少なし」と知れたら、老衰であれ、病気であれ、すべからく「陽を取り入れなさい」ということに尽きるのです。このことは、当たり前の生命の維持ならば、日常の食による間接的の取り入れでこと足りるのですが、老衰や病気からの「確かないのちもうけ」には、間接的の取り入れでは何としても一爻不足(いっこうふそく)なのです。

 
一爻不足とは易(えき)の用語で、運勢を開くのに陽の気がいまひとつ足りないことを言ったものですが、医療の場合も同じことが言えるのです。それは、病が延々として癒えないときです。あるいは、加齢と共に老衰が加わっているときです。これらは何れにしても「陰多くして陽少なし」の状態なのです。「陽」が不足していると、病にしても老衰にしても、回生への扉は開かれないのです。

 
陰から陽への転換が一番に必要なときに、それが確かな形でできなかったのが、これまでの医療でした。クスリは体にとっては異物ですし、陰性の働きをするものが多いですから、陽を補わなければならないときに却って陰を大きくしてしまうという、「虚労」にとってはマイナスの側面を持っているのです。

 
「虚労」の度合いの高い人ほど、副作用があることでこのことが知られます。このような「虚労」に対して、太陽の大いなる陽の「直接の取り入れ」による波及効果は言い尽くせません。「虚労」ということさえ認められれば、待ったなし、病名には関わらず、すべからく「陽を取り入れなさい」と言えるのです。「虚労」の度合いの高い人ほど、陽の取り入れの効果は劇的なものとなります。陰陽の法則に、神社の鳥居をまたぐ時は左足からお寺の場合は、右足から門をくぐる。とありました。

 
お風呂に入る場合は、右足から入るとお風呂のパワーとあなたが一体化しやすいです。お風呂から出る時は左足から出るといいです。自分の体の調子が悪い時(痛い時)には男性は左手で、女性は右手で患部をタッチすることで痛みはやわらぐそうです。そして、食事前には合掌して心から「いただきます!」と宣言することで、目の前にある食べ物は、宇宙と中和してあなたにとって害のないものに変わってしまう!


陰陽の法則とは、陰陽のバランスを取ることが大切と思っていましたが、老衰であれ、病気であれ、すべからく「陽を取り入れなさい」ということに尽きるのです。と、書いているように、太陽の大いなる陽(気・エネルギー)植物の葉緑素、そして、生命素ですから、微量ミネラルなども含まれると思います。これらで、生老病死の四苦の殆どが解消され、運気も開ける!と、なっています。視点を変えて、 陰陽の法則を極めれば、すべての本質を見ることのできる魔法のメガネにかけかえることになります。