恐ろしい船酔い M1421

恐ろしい船酔い



感情を「クリアにする」方法を知り、そして「クリアでいつづける」ことこそが、奇跡をおこす“キー“だ!と著者は言います。前回、紹介したものです。ところで、一般常識の範囲で考えられる純真無垢な状態は、生まれたての赤ちゃんの時です。自分がこの世に生まれた時の感情が最高にクリアな状態となります。

 
難産で、圧迫されて息が苦しかったとか、出産時の色々なプレッシャーなどにも問題はあるのですが、ここでは抜きにして考えます。自分が生まれて、一段落して、家族が喜んでいる光景をイメージして、その時の純真無垢で安堵した記憶と同調するように意図します。

 
何よりも、この世に生まれることができて、お母さんには深い感謝です。お父さんにも、おじいちゃんや、おばあちゃんにも心からの感謝です。周りの人々や自分を生かしてくれるすべてに感謝です。空気、環境、大地、太陽などの自然にも心からの感謝です。

 
深い感謝の気持ちは純粋な領域に至りますから、自分が最高に純真無垢な生まれたての赤ちゃんの時の記憶にも至ります。純真無垢な感情に自分の今の心を同調させると、暖かで穏やかな至福の感情が心の底から湧き出てきます。何もかにもが愛おしく、深い愛の感情に至ります。昨夜はこのようなことをイメージしながら寝入りました。

 
ところが、夢の中で、私の場合は、今世ではなく、はるかに遠い前世に問題があったようで、目が反時計回りにぐるぐる回り、どこかの時代で、命に関わるような重篤な船酔いをしていたのです。船酔い!とは、ふざけた表現になりますが、病気だったのかも知れませんが、自分は「恐ろしい船酔い」に感じました。

 
これは、朝になって眼がさめてからも、船酔い独特の気分の悪さがしばらく続きましたから、わかりました。目が反時計回りにぐるぐる回るのは、時計の針が反対に回っているのを見ていたので、明らかに古い過去の時代に戻っています。肝心の過去世のその時の状況や場面の記憶は強くブロックされているのか、その現場の中まで入ることができなかったのですが、不快な感情の記憶だけがサンプルのように残りました。

 
現実の世界でも、患者さんに氣のエネルギーを入れる時に、相手の痛いところと同じ部分が自分にも軽い痛みとして感じます。それは、ほんの一瞬で、実際の痛みではなく、かすかな記憶が反応している感覚なのですが、今回の船酔いの様な気分の悪さは、実感ですから、この魂の記憶は相当なダメージだったと推測できます。魂は向上するために旅をしていますが、肉体や精神はもちろんのこと、魂までもダメージを受けることもあります。

 
私の魂の記憶に、DNAも阿頼耶識も、生命の誕生からの記憶を持っていますので、これらは同じ例なのかも知れませんが、その膨大な記憶の中にも封印された記憶があるようです。この封印された記憶とはトラウマの原因になり、現代の生活にも影響を及ぼしている!とも、言われております。このマイナスのダメージの大きい封印されている記憶を浄化
できれば、運命の好転が促され、さらなる発展が期待できる様な気がします。

 
能望の実践の目的は、潜在意識の浄化にあります。この潜在意識は主にマナ識の浄化で、10世代くらいにさかのぼって浄化を促しますが、さらなる奥の封印されている領域の浄化は、時間がかかるのかも知れません。船酔いの感情が自分のネックになっている!とは、それこそ夢にも思ってもいませんでした。

 
歴史をさかのぼって、悲惨な船酔いが起りそうな船を考えてみると、ギリシャ時代のガレー船遣唐使船、アフリカの奴隷船、戦争時の沈没した戦艦や潜水艦など、色々考えられます。最近は、中国の話題が頻繁に出てきて、「ガイアの法則」の本でも、唐は世界の文明の中心であった!と書いてあるように、中国に関連があると考えてみます。となると、遣唐使船になりますが、遣唐使船で唐に渡った空海は2年余りで帰国しているので、船酔いの経験はあっても、命に関わるような重篤な船酔いのイメージはないと思われます。

 
遣唐使船に乗って、難破したり、あるいは唐に渡っても日本に帰れなくて無念の思いをした人物とか、鑑真のように盲目になって6回目の航海でやっと日本に到着できたとか、様々なケースが考えられます。それとも、自分の魂を宿した人物は、古代から奴隷の境遇になり、生まれ変わってガレー船の時代も奴隷で酷使され、さらにアフリカの奴隷船でも奴隷で苦しみ、何世代に渡り「船」での苦しみを経験してきたのかも知れません。

 
さらに、超古代のDNAを感動された奴隷だったのか、あるいは人間ではなく、小動物や微生物の時の記憶なのかも知れません。とにかく、「命に関わるような重篤な船酔いの最悪な感情」それに伴う艱難辛苦、これらは、思い出したくもない試練だった!ので、その記憶を封印しているのでしょう。けれども、創造主の目から見れば、ただ『そういうことが起こった』だけにすぎないのです。となり、現代の自分の目から見ても、冷静に判断できます。

 
船の沈没、難破、奴隷的酷使、奴隷的拘束・・・多くの人にだまされ
鞭打たれ、ひどい目に合わされて、その時の恨みや無念さの記憶が封印されていても、創造主の視点に立って、すべてを許し、すべてのつらい思いを開放するのです。『悪いことはなにも起こらなかった』と、思い、あらゆる出来事に感謝を深めることで、蓄積したネガティブな思いは浄化されます。そのように思うだけでも、気分は爽快になってきます。

 
人生には荒波がつきもので、座礁や難破もつきものです。時には沈没もありますが、過ぎ去ってみたら乗り越えるために必要な出来事だったのです。これは、想像の域を出ない話で、もしかしたら単なる眩暈(めまい)程度のことなのかも知れません。

 
思い過ごしであれば、それはそれでもいいのですが、純真無垢な感情になることは、ゼロに近づくことですから、意識レベルが高まり本質的な何かに気づくことでもあります。いずれにしても、過去の感情、記憶、出来事に固執することはまちがいなくエネルギーが滞り、マイナスの現象が起きてしまいます。純真無垢な状態になりましょう。