愛と光の存在 M4521


愛と光の存在


憎しみ、恨みについて、納得できません!という人からの相談-----------------------------------------------------------

 
人を恨めば穴二つ!ということわざがあるように、「人を恨む」ことは、相手にとっても自分にとっても良くないことが起きます。穴とは墓穴(はかあな)のことですから、まさしく「墓穴(ぼけつ)を掘る!」つまり、死に至るほどの最悪なことが起るのです。人を恨む傾向のある人は、「あの人だけは絶対に許さない!」と、言ったりしますが、一人だけでなく、たくさんの人を恨んでいます。

 
ほとんどが相手の不幸や苦しみ、そして死を願っているようですが、恨めば恨むほど、憎しみが深ければ深いほど、自分自身に同じような
不幸を呼び込んでいることになります。いじめられている子に一番最初にアドバイスすることは、相手を恨んだり、憎んだりしたらだめだよ!と、諭します。「あんな子なんか死んでしまえばいいんだ!」「死んでも許さない!」と、いじめられている子は、かなり恨んでいますが、いじめる子は、それに反応して、面白半分でいじめているのです。


いじめられている子に、今後に起きる現象をじっくりと説明して、人を恨まないことを納得してもらうのです。親も一緒に相談にくる時もありましたが、親子が一緒にいじめる子を恨んでいる場合が多いので、色々な例を説明しながら納得してもらいました。はじめは、変なことをいう人だな!と思われ、反発されますが、子供の場合は効果が早いので、後になって納得してくれるケースもありました。

  
一般に、いじめられている子には次から次と悪いことが起きて、最悪の場合、自殺をしてしまいます。これは、いじめがエスカレートするのも、死に至るのも、ほとんどの場合いが、自分の恨みが招いているのです。これが『鏡の法則』です。 にわかには納得できないことですが、心の働きは同じ現象を引き寄せますから、『鏡の法則』は引き寄せの法則でもあるのです。

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これは、合理的な考え方では納得できるものではなく、明確な根拠もないので、誰もが疑問に思うことでしょう。最近読まれた方にとっては、この内容は、あまりにも荒唐無稽であり、常識からかけ離れているので、そんなことは絶対にない!と、思われるでしょう。この文章からは、まるで、いじめる側を援護しているようにも思えますから、いじめられた経験がある人なら腹立たしく思っているかも知れませんね。誤解が生じたら、ごめんなさいね。

 
今まで、最悪の裏切り行為にあい、ひどい目にあわされて、死ぬほど恨んでいる人にどうして、かんたんに許せて、感謝しなければならないのか?生身の人間にそんなことできるはずがない!現代の常識からすると、鏡の法則は、あまりにもかけ離れた非常識な考えになりますから無理もありませんね。けれども、いじめで、自殺した子の親御さんには、どれほどの深い悲しみなのか、言葉では言い尽くされない深い悲しみに
襲われると思います。

 
二度とこのような悲劇にならないためにも、真の解決方法を多くの人に伝えたくて書いているのです。何の根拠がなくても、人は恨みから開放されれば、それだけで心は安定し、穏やかになります。恨みの感情を引きずって長い人生を生きることになったらそれだけでも、つまらない人生になり、不幸になることはわかり切っています。

 
さて、多くの日本人は、根強く恨みの念を持つ傾向にあります。私の独断的な考えですが、江戸時代に仇討ち(あだうち)が法の下で、公然と行われていました。それから尾を引いているようにも思います。仇討ち(あだうち)とは復讐のことです。中世期頃からこの慣行があり、江戸期になって法制化されました。憎しみ、恨みの連鎖は、根強いものがあります。ですから、仇討ちをされた遺族は、その仇討ちをした遺族をまたまた仇討ちをするようなケースも出てきます。

 
恨みの連鎖は、現代でも考えられることなのです。例えば、仇討ちほど深刻でなくとも、恨みの連鎖にあなたが気づいてあなたで食い止めなければ、あなたから子供、子供から孫へと限りなく、不幸がつながっていってしまいます。憎しみや恨みは、不幸を呼び込むのです。憎しみや恨みの連鎖はさらなる不幸を招くのです。

 
これは、三次元だけの話になりますが、恨みの連鎖は次元を超越して、過去世から来世と続き、現世だけで終わることはありません。恨みの連鎖は、子供や孫ばかりでなく、来世にも絡んでくるので、大変なことになるのですから、自分のところで解決できるのは、非常にありがたいことなのです。自分のところで、憎しみや恨みの出来事が起きた時には自分のところで断ち切れば、不幸な現象も起きなくなるのです。

 
次から次へと悪いことが起きる不幸の連鎖を断ち切ることができるのです。気づかせてくれた人に感謝するのです。自分の魂が江戸時代からの恨みの連鎖を続けていたとしたら、何百年にも渡る不幸の連鎖を自分が断ち切ることができるのです。これほどのチャンスはありません。恨み続けていては、自分ばかりか、孫の代まで悪いことが続けて起きるのですから、子や孫のためにも自分のところでストップさせるのです。

 
第二次世界大戦時の日本におけるスローガンは「鬼畜米英」でした。「一億玉砕」など、まるで現代の北朝鮮のようですが、仮想の敵をつくり、国民に恨みを植えつけて、戦争に駆り立てたのです。恨みの意識は、非常に低いために、現実の状況も益々悪くなり、国家でさえも崩壊して滅亡してしまうのです。第二次世界大戦時の日本国も日本国民も、状況は益々悪くなるばかりでした。

 
多くの若者の命がなくなり、多くの国民が食べるものも満足になくて、空襲で焼きだされ、原爆まで落とされ、世界中で、もうこれ以上の不幸はないくらいの地獄絵図の状況でした。強烈な一億の恨みが招いた最悪の不幸なのです。北朝鮮も、韓国やアメリカ、そして、日本などに、異常に敵対して恨んでいますが、国民は戦争など、もうどうでもよくて、ただ、飢えに苦しみ、将軍様を恨んでいるような気がします。北朝鮮も、かつての日本と同じような状況で、不幸な現象ばかり起こり、食料難で、飢餓地獄を呈しています。たくさんの墓穴を掘っているのです。

 
恨むことよりも、感謝することです。そして、恨みの反対の愛を深めることです。人間は本来は、愛と光の存在です。憎しみや恨みは本来の存在からかけ離れたものになり、それに蓋(ふた)をしてしまうのです。心を閉じて蓋をしてしまえば、愛は出てくることができません。蓋をとると、愛がどんどん外に飛び出てきます。愛は求めたり奪ったりするものではなく、与えるものです。恨みを解消するためにも愛を与えるのです。