今の瞬間に生きる M2621

今の瞬間に生きる

 
偶然の幸運に出会う能力=「セレンディピティ


U理論も、フローの状態=「ゾーンに入る」も、そのバロメーターになるのはシンクロニシティが頻繁に起きることです。そして、シンクロニシティに拍車がかかり、神がかり的な奇跡を呼び込むのが「今の瞬間に生きる」状態になります。「今の瞬間に生きる」ことを意識すれば、シンクロニシティの世界になり、偶然の幸運に出会う能力=「セレンディピティ」も最高度に高まることになるのです。

 
今の瞬間、瞬間に自分の心を開けば、必要なものは必要な瞬間に全てが与えられると言われています。心からこの[今に生きる」を実行している人達が、天才といわれている人達です。ミケランジェロは、大理石の塊の中に、一瞬のインスピレーションでダビデピエタを見出し、混沌の中から秩序を見出し、システィナ礼拝堂に「最後の審判」を具現化しました。日本画の天才画家は、川の激流を一週間も10日間もじっと眺め
ていると、思考が停止して、時間が止まり、水の流れが停止したように見えたり、川の流れが逆流するように見えてくると言っております。

 
川の激流の一瞬、一瞬を見るためには、自分の心を開いて、今の瞬間、瞬間に生きなければできません。見る⇒観る⇒魂を込めて観る⇒対象物に溶け込む⇒一体化する。対象物の奥にある目には見えない根源のエネルギーに近づくと思考が停止してきます。思考が停止する!ということは左脳の支配がゼロになり、右脳の支配になります。右脳は時間を超越しているので、思考が停止すると時間も止まった状態になるのです。

 
これは私の経験ですが、氣のエネルギーが高まった状態で目を瞑りしばらくすると白い光が1秒〜2秒の間隔で現れては小さくなって消えてゆきます。まるで、時を刻むように同じ感覚で白い光が現れては小さくなって消えてゆくのです。その光の流れを、右脳を意識して、ストップさせようと意図します。その光の源に意識を向けて意識が溶け込み、一体化を図ります。慣れないうちは、なかなかできませんが、その光に意識が溶け込むと光の流れをストップさせることができます。

 
停止した光は何倍も大きくなり輝きも増してきます。光の流れが止まると時間が止まったような感覚になります。白い大きな光を見ているのは右脳ですから、左脳の思考は停止します。この状態は、日本画の天才画家が体験している状態に似ていると思います。画家は自然に溶け込み、その背後にある創造の源と一体になることの、実践をしているようにも思います。

  
前回は、ミクロの命数の「瞬息」「弾指」「刹那」、10のマイナス16乗〜18乗の「六徳」の前の単位を説明しました。

 
・瞬息(しゅんそく)⇒弾指(だんし )⇒刹那(せつな)

 
これらは、明らかに時間の単位なので、これらの命数を意識するだけで、今の一瞬に近づくことができるように思ったのです。多くの人は、過去の記憶に囚われて、未来の不安に怯えて今の瞬間には生きていないのです。宇宙には、今のこの瞬間しかないのに、私達は本当の世界には生きていないのです。このことを、お釈迦様は知っていて、八正道の中に「正念」という教えを残されたのです。

 
「正念」とは正しく念じると解釈されていますが、正しい今の心に気づきなさい!と、解釈もできます。マインドフルネスとは、過去や未来ではなく、現在のこの瞬間瞬間に心をとどめることに努めなさいという仏教の教えもあります。ミクロの命数は、瞬間に生きるためのツールとして意図的に創られたのかもしりません。「瞬息」が素粒子の大きさで、「弾指」「刹那」はそれよりも小さいのですから、これらの言葉の意味からも、作者の意図を感じます。

 
それが、真実であったなら、ものすごいことで、まさしく、神様からの
贈り物=セレンディピティになるのです。次に、六徳(りっとく)から・涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)までの三つの命数を説明します。


・六徳(りっとく)は、10-19(1000京分の1)であることを示す漢字文化圏における数の単位である。なお、六徳という言葉は本来「人の守るべき六種の徳目」などを表す。

 
「瞬息」「弾指」「刹那」とは、意味あいが違ってきます。心の奥に至るには精神的な人格が、つまり意識レベルの向上が大切になってくるのです。

 
・虚空(こくう)とは、10-20(1垓分の1)である。漢字文化圏における小数の単位(命数)の一つである。「虚空」とは、空、平面、空間などに何もない状態を指す言葉で、そこから非常に小さい数の名前に宛てられたものである。虚空蔵とはアカシック・レコードのことでもありますから、時間の単位とみなして、この領域に至れば、アカシック・テストの精度がかなり高まると確信できます。

 
そして、虚空蔵の真言とは能望のことでもあります。ですから、能望の相乗効果も期待できます。

 
・清浄(しょうじょう・せいじょう)は、10-21(10垓分の1)であることを示す漢字文化圏における数の単位である。「清」(せい)と「浄」(じょう)の2つに分ける場合もある。メートル法のSI接頭辞ではゼプト (z) に相当する。なお、清浄という言葉には、「清らかでけがれのない」などの意味がある。清浄という言葉から「六根清浄」という浄化の言葉が連想されます。

 
この意味からも、左脳のマイナスの記憶の汚れや、マナ識の邪気など、一切を捨て去り、つまり、エゴや自我をきれいな状態にして、意識を深めて行く!という意図が伺えるのです。


瞬息(しゅんそく)⇒弾指(だんし )⇒刹那(せつな)⇒六徳(りっとく)⇒虚空(こくう)⇒清浄(しょうじょう・せいじょう)と、時間の単位でスパイラルシートの要領で心の深まりを実践してみて下さい。これだけでも、時空は超越していますから、今の瞬間に限りなく近づき、シンクロや神秘的な現象が起きると思います。