神様からの贈り物 その4

  
今の瞬間に生きる奥義!!今の瞬間に生きる!とは、漠然としていて、禅問答のようでしっくりといかない人もいると思います。今までの概念だと、一瞬 一瞬の刹那 刹那に、すぐに過去になってしまうのですから、今の一瞬に生きることなど、どうすれば?哲学的な解釈なのかな?と思われても無理もありません。孔子の言葉に、「心ここに在らざれば、視れども見えず、聴けども聞こえず、食らえどもその味を知らず」(こころ、ここにあらざれば、みれどもみえず、きけどもきこえず、
くらえどもそのあじをしらず)孔子の言葉「大学」より
                   
 
意味;心がうわのそらであったなら、ものを見ても見えず、聞いても聞こえず、食べてもその味がわからない。私が提唱している「今の瞬間に生きる」とは、この孔子の言葉にも通じているのです。さらに深めて、時間を超越した状態を追求しています。それは、時間に縛られている現代人が、時間を超越することができて、時間も空間もない永遠の今の領域に至れば、すべての問題が解決できるからです。

 
ほんの少しの間でも、ここ一番という時に、この時間を超越した領域に至ることができたら、それは天才の共通している領域ですから、神がかり的な奇跡が実現するのです。その実現が可能となるツールがスパイラルシートにあるのです。スパイラルシートの命数なら誰でも可能になると確信したのです。

 
今までのスパイラルシートのたくさんの実績、素粒子の領域に起きる100%のシンクロニシティ、命数の奥義のさらなる可能性等々。これまでの命数の奥義の実践からも、時間の壁を超越するための機は熟した!と直感したのです。今回は時間を相手に糸口を探求していますので、効果が高まると確信しております。私ごとですが、この連載は、何となくワクワクしながら書いていますので、今の瞬間に生きている!ような感じになります。理論的に皆さんが納得できるように詰めて行きますのでご了承下さい。


今の瞬間に生きると、投手が投げた剛速球が止まって見えたり、サッカーやバスケの選手が相手の選手がゆっくり動くように見えたり、剣の達人の「真剣白刃取り」の例など、これらのすべてが時間の超越でした。一流の天才アスリートは意図的にしているわけではなく、これらの現象が普通の選手よりも高い確率で起きています。無意識にも天才に共通している「今の瞬間に生きる」ことを実践しているからです。


そして、弓の名人の場合は、的が近づいてきて巨大に見える。ということですから、空間の超越になります。弓の名人は、弓を引いて、息をすべて吐き切った一瞬の刹那に、遠くにある的が自分の近くにせまってきて、的と自分、宇宙と自分が一体になり、的を狙わなくても百発百中命中するのです。この場合いは、目隠しをしても百発百中の命中率になりますから、この神業は意図的に行っていることになります。

 
ゴルフの石川亮君の場合も、先日「ゾーンに入る」経験をしましたが、これも空間の超越になると思います。ただし、亮君の場合は偶然に起きたようで、再現性はありません。これからの精進次第で奇跡の神業が頻繁に起きると思います。程度の差はあれ、今の瞬間に生きると、三次元で壁になっている時間も空間も取り払われることになります。

 
現代の科学や常識では考えられない時間と空間の壁を乗り越えることができるのです。量子力学素粒子の世界では、時間と空間の壁はなく、当たり前に起きていることですが、一般の常識では有り得ないことになっています。弓の名人の例は、100回中100回の100%の再現性があり、亮君の場合はまだまだ未熟なために100回で1回くらいだと思いますが、人格を高めたり、エゴを浄化したりして意識レベルを高めて行けば、どんどん再現性が高まります。


さらに、時間と空間の壁の他にも、芸術、ビジネス、学問、人間関係など、今まで不可能と思われてきた、世の中に立ちはだかる壁も乗り越えることができるのです。色々な分野に天才がいるのですから、それぞれの分野での壁を乗り越えることができれば、誰もが、天才になって活躍できるのです。今の瞬間に生きると、因果関係の壁だって乗り越えられるのです。ミクロの命数は、単なるツールではなく、人格を磨いたり、意識レベルを高めるために意図的に創られていますから、このことからも推奨できるのです。


今の瞬間に生きるコツ-------------------------


今の瞬間に意識を集中し、自分の行為に気づく、無意識に支配されずに、この気づきを続けていく。


マインドフルネスとは、「今」という瞬間に完全に注意を集中した意識状態のことです。何かを考えるのではなく、目の前で起きている事実を客観的にそして注意深く認識するのです。


過去に悩まず、未来を憂えず、今の瞬間に生きる意識を持つ、過去の記憶が出てきたら、マインドフルネスの状態になるのです。

 
今の瞬間に生きて、マインドフルネスの状態になると、全ての瞬間にシンクロニシティーがおこり、自然はあなたを助け、あなたは神の一部として生きている姿になります。


今の「瞬間、瞬間」の行為と現象に気づきを続けて今の状態に、心から満足して深く感謝をしていると懐かしい郷愁と本来の自分が戻ってきたような感覚になります。


今の瞬間に気づいて、今に生きている感覚を続けていると思考は止まり、心は静寂になり、過去の固定観念のプログラムが消去されるので、すべての悩みや問題が自動的に消滅します。


今の「瞬間、瞬間」に、自分に気づいて、意識を完全に集中できて、心を開けば、必要なものや情報は自然に与えられます。


今の瞬間に生きると、時間や空間の壁も、因果関係の壁も、障害となるものは一切なくなります。
 

「今の瞬間に生きること」を実行している人が、天才と言われている人達です。われを忘れ物事に没頭する純粋な心になれば、誰も天才になれるのです。


今の瞬間に目覚めることは、無限の可能性を秘めた「今」に開放されることなのです。宇宙に委ねて宇宙と一体化するのです。


今の「瞬間、瞬間」に生きていると、豊かなエネルギーに満たされ、自由と平和の感覚が深まり、至福の感情に満たされます。

 
第九識の阿摩羅識(アマラ識)まで説明しました。ミクロの命数には、第七識の未那識(マナ識)はないのですが、もう一度、整理して見ます。


五識の働き・・・(眼識・耳識・鼻識・舌識・身識)人間の五官の働き。
 
 
第六識の意識

 
第七識の未那識(マナ識)

 
第八識の阿頼耶識(アラヤ識)

 
第九識の阿摩羅識(アマラ識)=根本清浄識 


第九識は根本清浄識とされ、人が生きることの素晴らしさを根底から支えている、宇宙生命それ自体をさしています。たえず変化してやまない心を根源まで掘り下げていけば、第九識という、清浄な不変の大いなる生命につきあたることを示しているのです。

 
善悪のエネルギーが渦巻く八識の生命は、この第九識への回路を開くことによって、一気に善のエネルギーへと変えて行くことができるのです。

 
涅槃寂静 ⇒ 阿摩羅 ⇒ 阿頼耶 ⇒ 清浄 ⇒虚空 ⇒ 六徳と、昇龍を実践することは、阿頼耶のエネルギーも一気に浄化することになり、大切なことがわかります。


最後に、涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)は、仏教用語で、煩悩の炎の
吹き消された悟りの世界(涅槃)は、静やかな安らぎの境地(寂静)であるということを指す。なお、漢字文化圏では10のマイナス24乗を示す数の単位としても用いられる名前のついている数では最小の単位となっている。それが差し示す位は、10-24、10-26など時代や地域、また書物により異同がある(一般には10-24とされる)。小数の単位としては唯一、漢字四字で表記される。SI接頭辞ではヨクトに当たる。


瞬息⇒弾指⇒刹那⇒六徳 ⇒ 虚空 ⇒ 清浄⇒ 阿頼耶 ⇒ 阿摩羅 ⇒ 涅槃寂静 と、ミクロの命数がそろいました。上の三つは、瞬間の時間、中の三つは人格の向上と浄化、そして、下の三つは命の源流の神の領域と、それぞれ内容が異なります。





神様からの贈り物 その4

  
今の瞬間に生きる奥義!!今の瞬間に生きる!とは、漠然としていて、禅問答のようでしっくりといかない人もいると思います。今までの概念だと、一瞬 一瞬の刹那 刹那に、すぐに過去になってしまうのですから、今の一瞬に生きることなど、どうすれば?哲学的な解釈なのかな?と思われても無理もありません。孔子の言葉に、「心ここに在らざれば、視れども見えず、聴けども聞こえず、食らえどもその味を知らず」(こころ、ここにあらざれば、みれどもみえず、きけどもきこえず、
くらえどもそのあじをしらず)孔子の言葉「大学」より
                   
 
意味;心がうわのそらであったなら、ものを見ても見えず、聞いても聞こえず、食べてもその味がわからない。私が提唱している「今の瞬間に生きる」とは、この孔子の言葉にも通じているのです。さらに深めて、時間を超越した状態を追求しています。それは、時間に縛られている現代人が、時間を超越することができて、時間も空間もない永遠の今の領域に至れば、すべての問題が解決できるからです。

 
ほんの少しの間でも、ここ一番という時に、この時間を超越した領域に至ることができたら、それは天才の共通している領域ですから、神がかり的な奇跡が実現するのです。その実現が可能となるツールがスパイラルシートにあるのです。スパイラルシートの命数なら誰でも可能になると確信したのです。

 
今までのスパイラルシートのたくさんの実績、素粒子の領域に起きる100%のシンクロニシティ、命数の奥義のさらなる可能性等々。これまでの命数の奥義の実践からも、時間の壁を超越するための機は熟した!と直感したのです。今回は時間を相手に糸口を探求していますので、効果が高まると確信しております。私ごとですが、この連載は、何となくワクワクしながら書いていますので、今の瞬間に生きている!ような感じになります。理論的に皆さんが納得できるように詰めて行きますのでご了承下さい。


今の瞬間に生きると、投手が投げた剛速球が止まって見えたり、サッカーやバスケの選手が相手の選手がゆっくり動くように見えたり、剣の達人の「真剣白刃取り」の例など、これらのすべてが時間の超越でした。一流の天才アスリートは意図的にしているわけではなく、これらの現象が普通の選手よりも高い確率で起きています。無意識にも天才に共通している「今の瞬間に生きる」ことを実践しているからです。


そして、弓の名人の場合は、的が近づいてきて巨大に見える。ということですから、空間の超越になります。弓の名人は、弓を引いて、息をすべて吐き切った一瞬の刹那に、遠くにある的が自分の近くにせまってきて、的と自分、宇宙と自分が一体になり、的を狙わなくても百発百中命中するのです。この場合いは、目隠しをしても百発百中の命中率になりますから、この神業は意図的に行っていることになります。

 
ゴルフの石川亮君の場合も、先日「ゾーンに入る」経験をしましたが、これも空間の超越になると思います。ただし、亮君の場合は偶然に起きたようで、再現性はありません。これからの精進次第で奇跡の神業が頻繁に起きると思います。程度の差はあれ、今の瞬間に生きると、三次元で壁になっている時間も空間も取り払われることになります。

 
現代の科学や常識では考えられない時間と空間の壁を乗り越えることができるのです。量子力学素粒子の世界では、時間と空間の壁はなく、当たり前に起きていることですが、一般の常識では有り得ないことになっています。弓の名人の例は、100回中100回の100%の再現性があり、亮君の場合はまだまだ未熟なために100回で1回くらいだと思いますが、人格を高めたり、エゴを浄化したりして意識レベルを高めて行けば、どんどん再現性が高まります。


さらに、時間と空間の壁の他にも、芸術、ビジネス、学問、人間関係など、今まで不可能と思われてきた、世の中に立ちはだかる壁も乗り越えることができるのです。色々な分野に天才がいるのですから、それぞれの分野での壁を乗り越えることができれば、誰もが、天才になって活躍できるのです。今の瞬間に生きると、因果関係の壁だって乗り越えられるのです。ミクロの命数は、単なるツールではなく、人格を磨いたり、意識レベルを高めるために意図的に創られていますから、このことからも推奨できるのです。


今の瞬間に生きるコツ-------------------------


今の瞬間に意識を集中し、自分の行為に気づく、無意識に支配されずに、この気づきを続けていく。


マインドフルネスとは、「今」という瞬間に完全に注意を集中した意識状態のことです。何かを考えるのではなく、目の前で起きている事実を客観的にそして注意深く認識するのです。


過去に悩まず、未来を憂えず、今の瞬間に生きる意識を持つ、過去の記憶が出てきたら、マインドフルネスの状態になるのです。

 
今の瞬間に生きて、マインドフルネスの状態になると、全ての瞬間にシンクロニシティーがおこり、自然はあなたを助け、あなたは神の一部として生きている姿になります。


今の「瞬間、瞬間」の行為と現象に気づきを続けて今の状態に、心から満足して深く感謝をしていると懐かしい郷愁と本来の自分が戻ってきたような感覚になります。


今の瞬間に気づいて、今に生きている感覚を続けていると思考は止まり、心は静寂になり、過去の固定観念のプログラムが消去されるので、すべての悩みや問題が自動的に消滅します。


今の「瞬間、瞬間」に、自分に気づいて、意識を完全に集中できて、心を開けば、必要なものや情報は自然に与えられます。


今の瞬間に生きると、時間や空間の壁も、因果関係の壁も、障害となるものは一切なくなります。
 

「今の瞬間に生きること」を実行している人が、天才と言われている人達です。われを忘れ物事に没頭する純粋な心になれば、誰も天才になれるのです。


今の瞬間に目覚めることは、無限の可能性を秘めた「今」に開放されることなのです。宇宙に委ねて宇宙と一体化するのです。


今の「瞬間、瞬間」に生きていると、豊かなエネルギーに満たされ、自由と平和の感覚が深まり、至福の感情に満たされます。

 
第九識の阿摩羅識(アマラ識)まで説明しました。ミクロの命数には、第七識の未那識(マナ識)はないのですが、もう一度、整理して見ます。


五識の働き・・・(眼識・耳識・鼻識・舌識・身識)人間の五官の働き。
 
 
第六識の意識

 
第七識の未那識(マナ識)

 
第八識の阿頼耶識(アラヤ識)

 
第九識の阿摩羅識(アマラ識)=根本清浄識 


第九識は根本清浄識とされ、人が生きることの素晴らしさを根底から支えている、宇宙生命それ自体をさしています。たえず変化してやまない心を根源まで掘り下げていけば、第九識という、清浄な不変の大いなる生命につきあたることを示しているのです。

 
善悪のエネルギーが渦巻く八識の生命は、この第九識への回路を開くことによって、一気に善のエネルギーへと変えて行くことができるのです。

 
涅槃寂静 ⇒ 阿摩羅 ⇒ 阿頼耶 ⇒ 清浄 ⇒虚空 ⇒ 六徳と、昇龍を実践することは、阿頼耶のエネルギーも一気に浄化することになり、大切なことがわかります。


最後に、涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)は、仏教用語で、煩悩の炎の
吹き消された悟りの世界(涅槃)は、静やかな安らぎの境地(寂静)であるということを指す。なお、漢字文化圏では10のマイナス24乗を示す数の単位としても用いられる名前のついている数では最小の単位となっている。それが差し示す位は、10-24、10-26など時代や地域、また書物により異同がある(一般には10-24とされる)。小数の単位としては唯一、漢字四字で表記される。SI接頭辞ではヨクトに当たる。


瞬息⇒弾指⇒刹那⇒六徳 ⇒ 虚空 ⇒ 清浄⇒ 阿頼耶 ⇒ 阿摩羅 ⇒ 涅槃寂静 と、ミクロの命数がそろいました。上の三つは、瞬間の時間、中の三つは人格の向上と浄化、そして、下の三つは命の源流の神の領域と、それぞれ内容が異なります。





神様からの贈り物 その4

  
今の瞬間に生きる奥義!!今の瞬間に生きる!とは、漠然としていて、禅問答のようでしっくりといかない人もいると思います。今までの概念だと、一瞬 一瞬の刹那 刹那に、すぐに過去になってしまうのですから、今の一瞬に生きることなど、どうすれば?哲学的な解釈なのかな?と思われても無理もありません。孔子の言葉に、「心ここに在らざれば、視れども見えず、聴けども聞こえず、食らえどもその味を知らず」(こころ、ここにあらざれば、みれどもみえず、きけどもきこえず、
くらえどもそのあじをしらず)孔子の言葉「大学」より
                   
 
意味;心がうわのそらであったなら、ものを見ても見えず、聞いても聞こえず、食べてもその味がわからない。私が提唱している「今の瞬間に生きる」とは、この孔子の言葉にも通じているのです。さらに深めて、時間を超越した状態を追求しています。それは、時間に縛られている現代人が、時間を超越することができて、時間も空間もない永遠の今の領域に至れば、すべての問題が解決できるからです。

 
ほんの少しの間でも、ここ一番という時に、この時間を超越した領域に至ることができたら、それは天才の共通している領域ですから、神がかり的な奇跡が実現するのです。その実現が可能となるツールがスパイラルシートにあるのです。スパイラルシートの命数なら誰でも可能になると確信したのです。

 
今までのスパイラルシートのたくさんの実績、素粒子の領域に起きる100%のシンクロニシティ、命数の奥義のさらなる可能性等々。これまでの命数の奥義の実践からも、時間の壁を超越するための機は熟した!と直感したのです。今回は時間を相手に糸口を探求していますので、効果が高まると確信しております。私ごとですが、この連載は、何となくワクワクしながら書いていますので、今の瞬間に生きている!ような感じになります。理論的に皆さんが納得できるように詰めて行きますのでご了承下さい。


今の瞬間に生きると、投手が投げた剛速球が止まって見えたり、サッカーやバスケの選手が相手の選手がゆっくり動くように見えたり、剣の達人の「真剣白刃取り」の例など、これらのすべてが時間の超越でした。一流の天才アスリートは意図的にしているわけではなく、これらの現象が普通の選手よりも高い確率で起きています。無意識にも天才に共通している「今の瞬間に生きる」ことを実践しているからです。


そして、弓の名人の場合は、的が近づいてきて巨大に見える。ということですから、空間の超越になります。弓の名人は、弓を引いて、息をすべて吐き切った一瞬の刹那に、遠くにある的が自分の近くにせまってきて、的と自分、宇宙と自分が一体になり、的を狙わなくても百発百中命中するのです。この場合いは、目隠しをしても百発百中の命中率になりますから、この神業は意図的に行っていることになります。

 
ゴルフの石川亮君の場合も、先日「ゾーンに入る」経験をしましたが、これも空間の超越になると思います。ただし、亮君の場合は偶然に起きたようで、再現性はありません。これからの精進次第で奇跡の神業が頻繁に起きると思います。程度の差はあれ、今の瞬間に生きると、三次元で壁になっている時間も空間も取り払われることになります。

 
現代の科学や常識では考えられない時間と空間の壁を乗り越えることができるのです。量子力学素粒子の世界では、時間と空間の壁はなく、当たり前に起きていることですが、一般の常識では有り得ないことになっています。弓の名人の例は、100回中100回の100%の再現性があり、亮君の場合はまだまだ未熟なために100回で1回くらいだと思いますが、人格を高めたり、エゴを浄化したりして意識レベルを高めて行けば、どんどん再現性が高まります。


さらに、時間と空間の壁の他にも、芸術、ビジネス、学問、人間関係など、今まで不可能と思われてきた、世の中に立ちはだかる壁も乗り越えることができるのです。色々な分野に天才がいるのですから、それぞれの分野での壁を乗り越えることができれば、誰もが、天才になって活躍できるのです。今の瞬間に生きると、因果関係の壁だって乗り越えられるのです。ミクロの命数は、単なるツールではなく、人格を磨いたり、意識レベルを高めるために意図的に創られていますから、このことからも推奨できるのです。


今の瞬間に生きるコツ-------------------------


今の瞬間に意識を集中し、自分の行為に気づく、無意識に支配されずに、この気づきを続けていく。


マインドフルネスとは、「今」という瞬間に完全に注意を集中した意識状態のことです。何かを考えるのではなく、目の前で起きている事実を客観的にそして注意深く認識するのです。


過去に悩まず、未来を憂えず、今の瞬間に生きる意識を持つ、過去の記憶が出てきたら、マインドフルネスの状態になるのです。

 
今の瞬間に生きて、マインドフルネスの状態になると、全ての瞬間にシンクロニシティーがおこり、自然はあなたを助け、あなたは神の一部として生きている姿になります。


今の「瞬間、瞬間」の行為と現象に気づきを続けて今の状態に、心から満足して深く感謝をしていると懐かしい郷愁と本来の自分が戻ってきたような感覚になります。


今の瞬間に気づいて、今に生きている感覚を続けていると思考は止まり、心は静寂になり、過去の固定観念のプログラムが消去されるので、すべての悩みや問題が自動的に消滅します。


今の「瞬間、瞬間」に、自分に気づいて、意識を完全に集中できて、心を開けば、必要なものや情報は自然に与えられます。


今の瞬間に生きると、時間や空間の壁も、因果関係の壁も、障害となるものは一切なくなります。
 

「今の瞬間に生きること」を実行している人が、天才と言われている人達です。われを忘れ物事に没頭する純粋な心になれば、誰も天才になれるのです。


今の瞬間に目覚めることは、無限の可能性を秘めた「今」に開放されることなのです。宇宙に委ねて宇宙と一体化するのです。


今の「瞬間、瞬間」に生きていると、豊かなエネルギーに満たされ、自由と平和の感覚が深まり、至福の感情に満たされます。

 
第九識の阿摩羅識(アマラ識)まで説明しました。ミクロの命数には、第七識の未那識(マナ識)はないのですが、もう一度、整理して見ます。


五識の働き・・・(眼識・耳識・鼻識・舌識・身識)人間の五官の働き。
 
 
第六識の意識

 
第七識の未那識(マナ識)

 
第八識の阿頼耶識(アラヤ識)

 
第九識の阿摩羅識(アマラ識)=根本清浄識 


第九識は根本清浄識とされ、人が生きることの素晴らしさを根底から支えている、宇宙生命それ自体をさしています。たえず変化してやまない心を根源まで掘り下げていけば、第九識という、清浄な不変の大いなる生命につきあたることを示しているのです。

 
善悪のエネルギーが渦巻く八識の生命は、この第九識への回路を開くことによって、一気に善のエネルギーへと変えて行くことができるのです。

 
涅槃寂静 ⇒ 阿摩羅 ⇒ 阿頼耶 ⇒ 清浄 ⇒虚空 ⇒ 六徳と、昇龍を実践することは、阿頼耶のエネルギーも一気に浄化することになり、大切なことがわかります。


最後に、涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)は、仏教用語で、煩悩の炎の
吹き消された悟りの世界(涅槃)は、静やかな安らぎの境地(寂静)であるということを指す。なお、漢字文化圏では10のマイナス24乗を示す数の単位としても用いられる名前のついている数では最小の単位となっている。それが差し示す位は、10-24、10-26など時代や地域、また書物により異同がある(一般には10-24とされる)。小数の単位としては唯一、漢字四字で表記される。SI接頭辞ではヨクトに当たる。


瞬息⇒弾指⇒刹那⇒六徳 ⇒ 虚空 ⇒ 清浄⇒ 阿頼耶 ⇒ 阿摩羅 ⇒ 涅槃寂静 と、ミクロの命数がそろいました。上の三つは、瞬間の時間、中の三つは人格の向上と浄化、そして、下の三つは命の源流の神の領域と、それぞれ内容が異なります。